騒がしい季節 4

 

 

 

「今日はここまで。前回出した課題を次の時間に集めるからな。単位が危ないやつは特にやってこいよ」

 教師の声に一時間目終了の鐘が覆いかぶさる。日直の号令で礼を済ませばその途端に休み時間だ。

 次の教科が体育ということもあって、教室内は慌しい。準備の整った生徒から順次教室の外へ向かう中、和意だけが制服のまま廊下へと出る。早々と身支度を整えた生徒が和意に気がついた。

「あれ? 羽柴、着替えないのか?」

「かったるいから保健室にいる。適当に言い訳しておいてくれよ」

「なんだ、やりすぎか?」

「残念なことに、斎賀に振り回されててそんな暇がないな」

 ご愁傷様、とからかう声へ肩越しに手を振り、保健室へと向かう。

 本来なら、授業をサボタージュするために保健室に行く必要はない。生徒会役員は仕事という名目で授業を抜けることが許されているし、生徒会室内にある応接室でも十分な空間がある。更に言えば、コーヒーだろうと紅茶だろうと飲み放題である。

 それでも敢えて保健室へ足を運ぶのは、一人だけの空間に閉じこもりたくないからだ。

 四方を壁に阻まれた狭い部屋に一人でいれば、余計なことを考えてしまう。それは終わりの見えない迷宮に迷い込んだかのように、和意を悩ませ続ける。

 それでなくとも和意には考えることが多分にあるのだ。

 体育祭のこと、新生徒会のこと、それに絡んだ根回しのこと。

 今だって時間があるなら少しでも後々楽になるようあれこれと動き回るべきなのだ。それなのに、感情が邪魔をする。

 繰り返し脳裏に浮かぶ、昶の泣きそうな顔。

 何が原因でこんなにすれ違ってしまったのだろうか。

「失礼します」

 チャイムに消される程度のノックとともに保健室へ足を踏み入れた。外部からの扉を兼ねた窓から光が差し込んで明るい、けれども無機質な部屋。

 中央に置かれた机を定位置とする保険医の姿がなく、和意は首を傾げる。

 シャッという効果音に視線を巡らせば、三つ並べてあるベッドの側に細川が立っていた。そのうちの一つがカーテンでしっかりと覆われている。どうやら先ほどの音はそのカーテンを閉める音だったらしい。

「なんだ、副会長様か。授業はどうした?」

「体調不良なもので」

「……おまえ、俺のこと教師と思ってないだろう?」

「話の分かるセンセイだとは思ってますよ」

 これ以上ないほど作り笑顔を向けて見せると、細川は大きな溜め息をついた。

「コーヒー、俺の分も淹れろ」

「はいはい」

 和意の顔に勝ち誇った笑みが浮かぶ。それを見た細川が小さく舌打ちした。

「聞こえてますよ」

「他の可愛げのある生徒にはしないぜ」

「特別扱いとは知らなかったな」

「されて喜ぶような性格じゃないだろうが」

 確かにね、と笑った和意は手際よくコーヒーを二人分用意する。片方のマグカップを細川へと手渡すと、ベッドに背を向ける形で腰を落ち着けた。

「体育祭の準備はどうだ? 昼休みも篭りっきりらしいが」

「よくご存知ですね」

「ここに来る生徒から聞いたんだよ。今の時期からそんなに切羽詰ってるのか?」

「まさか。今年は一年が騒がしいから、面倒で生徒会室に避難しているだけですよ。集まったついでに話を詰めてるおかげで、議事進行もスムーズだし」

「小泉と一緒にいる姿を見なくなったとも聞いたぞ」

「一年の標的にされても困りますから。あいつがうまく立ち回れるとは思えないし、今の騒ぎが落ち着くまでは一緒にいないほうがいい」

「その割には、後手に回っているようだな」

 揶揄するような口調で言われ、和意は眉を顰める。

「『最近羽柴と小泉が一緒にいないのは別れたかららしい』って噂を聞いたぞ。それも複数からな」

「―――……」

「噂を放置しておくほど余裕がないのか? 別れたわけじゃないんだろう?」

「当たり前です」

「だが、周りはそう取ってはいない。むしろそれを助長させるような噂も発生しているしな」

「……ええ、知ってますよ」

 固い口調で頷いた和意は、無意識の内にマグカップを持つ手に力を籠める。

 嫌というほど何度も別の口から知らされた噂。その噂の元凶を見たおかげで、昨日は昶と拗れてしまった。

 もしあの現場を見なければ、和意は昶と今まで通り何事もなかったかのように過ごせたのだろうか。

 そう何度も自問しては自身で否定し続けた。遅かれ早かれ、和意は昶とぶつかっていたと思う。誰一人として同じ考えを持たないのと同様、和意と昶では彼らに対する印象が違う。

 彼らが昶にとって気の置けない後輩だとしても、和意にとっては脅威になりうる存在だと認識してしまったから。

「なあ、羽柴。噂ってのは取りようで変わるんだぜ? なんせ判断はその人物の主観が含まれるからな」

 黙りこんでしまった和意に、細川が穏やかな声で諭す。

「小泉と後輩の仲がいいのは確かとして、それをどう取るかは聞き手次第だ。噂を流したやつらは興味本位だから面白がるだろう。おまえがどう思ったのかはおまえにしか分からない」

「―――……」

「噂を本当にさせるつもりはないんだろう?」

 少なくとも、和意にそのつもりはない。だが、昶はどうなのだろうか。

 今回のうわさの主は昶自身であって、和意ではない。あの噂を本当にするかは昶次第なのだ。

 和意は手の中のマグカップに視線を落とし、躊躇いがちに口を開く。

「俺は……噂を聞いたとき、特別に驚いたりはしなかったよ。入学式のとき、実際に目撃させられたし、昶の口からも事情を聞いていたし。ただ、そうだな……ショックだったのかもしれない」

「ショック?」

「そう。必要以上に接触するなって昶には伝えて、昶もそれに頷いた……少なくとも、俺はそう思っていた。ところが噂になるほど目撃されている。あのときの話は何だったんだろう、ってね」

 それでも、噂だけならまだ我慢できた。

 仲のいい友人のようにじゃれ合ったりもするのだろう、と自身を理性で押さえつけることができたから。

「冷静に見れば、仲のいい先輩後輩の図なんだとは思う。思うけれど……実際、目撃したときはさすがに目の前が真っ暗になった」

 他には誰もいない教室で、中学時代の後輩に囲まれていた昶。その表情は和意には見せない年上ぶったもので、二人に対する眼差しも柔らかい。抱きつかれようともその腕を払うことなくそのままの体勢で談笑する姿に、新学期早々噂になった彼らの仲睦まじさを見せ付けられたような気がした。

 和意の視線を感じたのか、昶の表情は振り返った瞬間に硬くなった。慌てて桧原の腕から逃げ出すのを、和意は自分が覚めた目で見ていたのを覚えている。

 それが和意に対する罪悪感なのか、見られたことに対する反射的なものか、それとも和意自身に対する素直の感情なのか―――和意はとっさに判断できなかった。

 踵を返したのは無意識だった。

 ハンマーで殴られたかのような側頭部の鈍痛。

 鋭い何かで刺されたように痛む胸。

 腹に灯るどす黒い炎。

 それらの感覚を揺り動かされるまま足を進めていた和意は、後を追ってきた昶を認めても向き合おうとは思えなかった。

 追いかけてきたのは、単なる条件反射なのではないのかと、疑ってしまったから。

 例え和意が言葉を尽くしても、昶はきっと今と同じように桧原に接するに違いない。彼は自分の仲の良かった後輩だったから、と。彼の行為がどれだけ和意を不安に陥れているか想像すらしたことがないのではないか。

 和意の葛藤の理由を、彼はきっと知らないだろう。そしてこれからも気づかない可能性が高い。

 自分だけが振り回されているという不公平感を感じ、その感情を殺してしまおうと努力する自分に哀れみさえ感じてしまう。

「でも、仕方ないよな」

 それだけ繰り返しても、和意の中で行き着く場所はひとつしかない。

「惚れたほうの負けだ」

 昶を手放そうとは思わないから。

 溜め息混じりの苦笑を浮かべたそのとき、和意の背後で小さな音が響いた。振り向く前に背中に衝撃が走り、覚えのある気配が和意を包む。

「……さい……ごめん、なさい……っ」

 回された腕が和意の胸の前でしっかりと組まれている。和意自身に掴まってこないのは、拒絶されることを恐れているからだろうか。

 かすかに震えるそれを半ば呆然と見つめていると、目前に座った細川が音を立てて立ち上がった。

「俺は早めの昼飯を食ってくる。一応不在札は掛けておくが、急ぎの場合は職員室に連絡してくれ」

「……はい」

「おまえら、言葉が足りなすぎだ」

「……善処します」

 細川と会話をする間も、昶は和意の肩に顔を埋めたままピクリとも動かない。

 振り向かなくとも視界に映る頭部にそっと手を伸ばし、久しく感じていなかった温もりに和意はそっと笑った。




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