騒がしい季節 3

 

 

 

 授業が終わり、一日の義務から生徒を解放する放課後。喧騒に包まれながらも、一人二人と教室内から生徒が減っていく。声をかけてくる彼らに挨拶を返し、残された昶は机に突っ伏した。

 春だというのに今年は雨ばかりで晴れる日が少ない。

 そんな話をしてからどれだけ経つのだろう。

 あの時、先輩はどんな顔をしていたっけ。

 記憶の片隅を探してみるが思い浮かばない。

 覚えているのは学校の帰り道だったこと、お互いに傘を差していたということだけ。

 傘という障害があっても、彼の反応は視界に入ったはずだ。なのにどうして覚えていないのだろう。

 何気ない日常の一コマすぎて、記憶に溶け込んでしまったのだろうか。

 何で、こうなったんだろう。

 二人の間にあった空気を懐かしく感じ、当時の自分を羨ましいと思ってしまう。それほど、今では和意との距離が遠く感じる。

 一年生の騒ぎが治まるまで校内じゃ会えないな。

 斎賀の一言で突如開催された花見の宴で、桜を静かに照らす月を見上げながら和意がそう呟いた。入学式終了後からすでに一年生に囲まれたこともあってか、昶が不満げな顔をしても彼が折れることはなく。以来校内で彼と話せたのは廊下ですれ違ったときに言葉を交わす程度だ。

 人目を気にせず堂々と並べる生徒会面子を羨ましいと思ってしまうのだから重症だ。

「……なんだかなぁ」

 和意が忙しいのは和意だけの事情であって、昶には関係ない。そう開き直ってしまえば楽になるのだろうか。

 毎日電話をするという宣言通り、和意から夜毎に電話がある。帰り道に話していたような会話を顔の見えない状態で再現され、最初は長々と電話でつながっていた。

 だが、和意が生徒会で忙殺されていると理解しているだけに、今は昶から切り上げてしまうことが多い。そうでなければ和意が自ら切らないことを知っているから。

 変わりに増えたメールの回数。

 だからといって、昶の思っていることを全て文字に変えることはできない。何よりも昶には顔を見て話したいことがある。

「昶先輩? 一人で何やってるんですか?」

 聞き覚えのある声に呼ばれ、昶は顔を上げた。視線を向ければ桧原がこちらに近づいてくるところだった。その傍らにはやはり神崎の姿がある。ここに弟の姿が加われば、去年と同じ光景が見られたのだろう。

 残念ながら、弟が青南高校の制服を着ることはないのだが。

「お前ら、本当に仲いいよな」

「先輩たちには言われたくないですよ。……って、工藤先輩はいないんですか?」

 きょろきょろと世話しなく周囲を見回す桧原に、昶は苦笑を浮かべる。

「今日は用があるからって帰った。俺も今は人待ち中」

「人待ちって?」

「人を待つこと、に決まってるだろう。おまえ、よく受験に失敗しなかったな」

「そ、それくらいわかるに決まってるだろう!? 俺が聞きたいのは誰を待ってるかってことで……」

「お前がそこまで詮索するのはどうかと思うぞ」

「ぐ……」

 ばっさり切り捨てられた桧原が昶に視線を向ける。だが、昶はそれを受け止めただけで口を開かなかった。例え自分が話題の渦中にあろうと、桧原と神崎の会話に口を挟むつもりはない。そう意思表示すれば桧原がむっとした顔でそっぽを向いた。

 大きな形でやるその仕草はどうみてもアンバランスで、昶は噴出しそうになる。

「相変わらず子供っぽいな。だから彼女もできないんだよ」

「うるさいっ。てか、一言余計だ! そういうお前こそいないじゃないか」

「いないんじゃなくて、作らないだけだ」

「お、俺だってそうだっ」

「へぇ? この前彼女がほしいとか叫んでなかったか?」

「う……」

「神崎、その辺にしてやれよ」

 桧原が言葉に詰まったところで、昶は助け舟を出した。ここらで止めないと、彼らの会話がいつまでも続くことになる。

「昶先輩っ」

「はいはい」

 泣き真似をする桧原が勢いよく抱きいてくる。その横で神崎が溜息を落とすのを聞き、視線を上げた昶はそのまま動けなくなった。神崎の背後、教室の入り口に和意の姿を見つけたのだ。

 昶と目を合わせたにも拘らず、柱にもたれかかり無表情のままこちらを見つめている。

 その視線の先が自分に抱きつく桧原に留まっている。そのことに気づいた昶は慌てて桧原の腕の中から抜け出した。

「先輩?」

「ごめん、待ってた人が来たから」

 訝る声に昶は鞄を掴んで慌しく立ち上がる。昶の声に周囲を見回した桧原が不思議そうな声を出した。

「……誰もいないよ?」

「え?」

 勢いよく振り返ると、戸口のところにあった和意の姿がなくなっている。どうして、と悩むのもそこそこに、昶は勢いよく立ち上がった。

「昶先輩!?

「ごめん、またな!」

 説明をする暇も惜しくて、振り返ることなく廊下に出た。左右を見回しても和意の姿はなく、昶の心は抑えようもなく逸る。

 どうしよう……どこに行ったんだろう。

 迷ったのは一瞬で、昶は階段へと向かう。そのまま転がり落ちんばかりのスピードで駆け下り、正面玄関で目当ての姿を見つけた。

「先輩!!!

 声を張り上げれば、肩越しに振り返った彼と視線が合う。だが傍にたどり着く前に再び歩き出され、昶は慌てて追いかける。

「先輩、待ってよ!」

 追いついたものの、横目で窺う和意の表情は硬い。普段であれば昶の歩調に合わせて落ちるスピードも変わらず、唇は横一文字に閉ざされたままだ。

 久々に傍にいるというのに彼の眼差しを感じられない。

 触れることもできない。

 それが昶の心を締め付ける。

「……先輩?」

 無視されるのが恐くて、でもこれ以上この空気が纏わりつくのも嫌で。

 躊躇いがちに声をかければ、ようやく和意の足が止まった。無言で見下ろしてくるその表情が昶を責めているようで、耐えられず顔を俯かせる。

 和意が何を怒っているのかわからないこの状況で、何を言えばいいんだろう。

「あの……」

「おまえは俺が言ったことを聞いていたのか?」

「え……?」

 昶は弾かれたように顔を上げた。彼の意図するところがわからなくて戸惑いを表せば、和意の口から溜息が落とされる。

「出向いた先で見せ付けられるとは思わなかったな」

「見せ付けるって……だって桧原は……」

 ただの後輩だよ。そう続けようとした昶の脳裏に入学式のやり取りが過ぎる。

 あの時も桧原が昶に抱きつき―――そして、和意は何と言った?

 思い出そうとする昶を横目に、和意は追い討ちをかける。

「小泉が桧原という一年によく抱きつかれている。そういう噂が流れているのを知っているか?」

「何、それ……」

「同じ中学出身にしては仲がいい。嫌がる気配もないし、傍にいる聡里も止めない。羽柴と小泉が一緒にいるところも少なくなったし、別れたんだろうか、ってな」

「―――――っ」

 何をどうなったらそんな噂が流れるのか。

 淡々と告げられる事柄に、昶は眩暈を感じる。

「何だ、知らなかったのか?」

「し、知らないっ! だってあいつらは弟の友人だし、聡里は……っ」

「噂になるほど抱きつかれて、おまえはそれを拒否しなかった。違うか?」

「…………っ」

 突き放す声音に、昶は言葉を失った。

 確かに桧原が抱きついてくるのを拒めなかったのは昶の責任だ。噂になるほどそれを放置していたのは自分に非があると認める。

 だが、昶が和意と校内で距離を置くようになったのは、校内で会わないようにしようと言ったのは和意の方だ。

 まさか、そこまで昶のせいだというのだろうか。

 昶を見下ろす瞳は、相変わらず何の感情も浮かんでいない。ただ、昶の反応だけを他人事のように待っている。

 何かが、切れた。

「どうすれば先輩の気が済む? 噂を本当にすればいい?」

「―――誰が、そんなことを言った」

 ようやく、和意の表情が動いた。しかし今の昶がそれに気づく余裕もなく。

「だったら、なんで何も言ってくれないんだよ!?

 自分より高い位置にある胸倉を両手で掴み、昶は言葉を重ねた。

「言葉にしないで黙って……それで察しろなんて都合良い話だろ! 言ってくれなきゃ分からないよ……っ」

 締め付けんばかりに和意の襟元を握る手に力をこめた。首が絞まるのか息苦しそうに眉を顰めながらも、和意は沈黙を守っている。

 どれだけのこの状態が続いたのだろうか、嘆息した和意が静かに口を開いた。

「言葉にしたら、おまえは聞くのか?」

「え……?」

「俺が言葉を重ねても、おまえは納得しないだろう?」

「………先輩?」

「前に言ったよな? たとえ聡里でもおまえに抱きつくところを見れば腹が立つ、と。それをおまえは分かっていてくれると思っていたよ」

「………」

「噂は尾鰭が付き物だからな。鵜呑みにしていたわけじゃないが……あれなら、誰でも噂を信じるだろうな」

 和意の軽い動作で昶の指から力が抜けた。それすら気づかず、昶はただ和意を見つめる。

 誰でも、と和意は言った。その中に和意自身も含まれるということだろうか。もしそうだとしたら、昶は何を言えばいいのだろうか。

 何を、言えるというのか。

 黙り込んでしまった昶をしばらく見つめていた和意だが、ややあって踵を返した。

 静かな廊下に響く足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 昶はそれを見送ることすらできなかった。




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