騒がしい季節 5

 

 

 

 思わぬカウンセラー役を務めることとなった細川の言葉は、寸分のズレもなく的を射ていた。

『おまえら、言葉が足りなすぎだ』

 会えないことを不満に思い、声が聞きたいことを素直に口にできなかった昶と。

 理由あって自分から遠ざけた昶が、自分以外の人間に笑いかけることを許せなかった和意と。

 今一歩踏み出せなかった弱さが、少しずつ二人を遠ざけたのだろう。

 二人の付き合いはまだまだ浅い。聡里と昶、または和意と誠吾や生徒会面子のようにお互いを知るには今しばらく期間が必要なのだ。

 相手の見えない行動を深読みし、自ら遠ざかる。そんな行動は取りたくない。

 ようやくそれに気がついた二人は、互いに心の中に燻るものを吐き出した。

『一年の騒ぎに対して、先輩が気を遣ってくれてたのは知ってるし、納得したつもりでもいた。でも生徒会の人たちが先輩と一緒にいる姿を見るたび複雑な気分になったんだ。俺も堂々と先輩の隣に並びたいよ……っ』

『あいつらと話すなとは言わない。笑いかけるなとも。だから、せめて抱きつかれそうになったら抵抗してくれないか。俺は俺以外の誰かがおまえに触るところを見たくもないし、聞きたくもない。もちろん、おまえを誰かと共有するつもりもない』

 それは、どちらにとっても葛藤すべき願いであり、甘い囁きでもあった。

 和意にとっては昶を安心できかねる環境に招くこととなり、昶にとっては今まで当たり前だった関係を修正することとなる。

 同時に不満をぶつけ合うことで、どれだけ相手が自分のことを想っているのかを改めて言葉で教えられた。もう少し貪欲になってもいいのだろうか、と両者が心の内で考えたのは互いに秘めたままだ。

 もっとも和意の台詞に関しては、昶の脳内にまでようやく染み込んだというべきだろう。

 それでも今までより一歩近づいたと思うのは気のせいではないはずだ。

 暫しの距離を置いて、ようやく二人はお互いの心に触れられたのだから。

 そして、もうひとつ。

 昶にとって心が軽くなる要素があった。

 

 

 

「―――昶、起きた?」

 頭上で動く気配と声音に、昶はゆっくりと瞼を押し開いた。開けた視界に聡里のアップがあり、驚いた昶は数度目を瞬かせる。

「……聡里?」

「そうだよ。まだ眠い?」

 昶の寝惚けた様子が面白かったのか、聡里の顔に笑みが浮かぶ。

「もう午前の授業が全部終わっちゃったよ。適当にお昼買ってきたけど、起きられる?」

 ベッドの端に腰掛けた聡里に小さく頷いた昶は、視線を周囲に走らせる。視界に入るのは白で統一されたカーテンと保健室の備品ばかりで、聡里以外の人影はない。

 和意と話をしたと思ったのは、夢だったのだろうか。

 疑いたくなるほど彼の気配がない代わりに、残された言葉が昶の胸を温かくする。

「ようやくお目覚めか」

 音を立てて残りのカーテンが開けられ、保健医の細川が顔を覗かせる。聡里に場所を譲られ近づいてきた彼は、昶の顎に指をかけて上向かせた。

「ああ、顔色は良くなったな。朝連れて来られたときは土気色だったが……まだ寝たりないならもう少し寝ていってもいいぞ?」

「ん……大丈夫。午後は授業に出るよ」

 肘を使って上半身を起こす。少しだけ不安だった眩暈はなかったが、それでも慎重に床へと足を下ろした。

「おまえ、ちゃんと食ってるのか? ただでさえ今は一人暮らしだろう?」

 父親の海外転勤に伴い、この四月から昶は一人暮らしを始めたのだ。近所に住む叔父を保護者代理とすることで、学校側の許可も得ている。

 そのことを知っているのは、聡里と弟の友人である後輩二人、そして数人の教師だけ。和意には直接話をしようと思っているうちにずるずると時間だけが過ぎてしまった。

「食べてるよ。夕飯は特にね」

「無理しないで、気分が悪くなったら来いよ。俺はおまえの保護者代理からクレームを受けるのはごめんだからな」

「はいはい」

「昶、“はい”は一回だ」

「はぁい」

 小さく笑いながら寝皺の寄ったワイシャツを形ばかり整え、ベッドの側にかけられていた上着とネクタイを身に付ける。お待たせ、と聡里に声をかけ保健室の外へと向かった。

 失礼しました、と二人は出入り口で一応頭を下げ、どちらからともなく歩きだす。

「昶、お昼はどこで食べる?」

 手に持ったビニール袋を掲げてみせる聡里に、昶は躊躇った末とある場所を口にした。それが数週間近寄ろうともしなかった場所だけに、聡里が怪訝そうな顔をする。

「僕はいいけど、昶は大丈夫なの? 先輩に止められてるんでしょ?」

「大丈夫、だと思う」

 自信のない答えになるのは、先ほど浮かんだ和意の言葉が現実味を帯びていないように感じるから。

 暗い考えに浸りかけた昶は、それを振り切るように勤めて明るく言った。

「だめだったら別の場所で食べればいいよ。聡里には迷惑かけるけどね」

 久しぶりに見る生徒会室の前では、一年生と思しき生徒数人が群がっていた。そのうちの一人が昶に気づくと波状に広がり、全員が不躾な視線を転じてくる。

 観衆注目の中、昶は緊張の面持ちでノックをした。

「なんだ、おまえらか」

 扉の向こうから顔を覗かせた金児が、小首を傾げながら昶たちに扉をあっさりと開放する。背後から上がったのブーイングを物ともせず、金児は門番よろしくきっちり鍵を下ろした。

 来いよ、と二人を案内したのは、聡里がかつて密談室と勝手に名づけた応接室である。

 その名の通り、中に置かれた備品はソファとローテーブルが部屋の大部分を占める。生徒会室が正方形なのに対して応接室は長方形をとり、面積は同じほどかやや少ない程度だ。

 密談室と名づけたのは、扉が生徒会室内にしかなく、廊下に面した側は壁やキャビネット等で完全に封じられていることによる。扉を閉めれば完全防音となり、生徒会室にも中での会話が漏れることはない。

 普段は完全開放されており、今も扉は開け放たれていた。

「二人ともいらっしゃい」

 斎賀の声に反応し、和意と高橋も顔を上げる。和意から向けられた柔らかい視線に、昶は無意識に入っていた肩の力を抜いた。

「お邪魔します……って、いいんですか?」

「構わないよ。昼を食べてるだけで、別に会議をしているわけでもないし」

 その言葉通り、三人が囲むテーブルの上には昼食だったと思しき残骸が広がっていた。

 和意に手招かれるまま昶は隣に座り、聡里は空いていた一人がけのソファに腰掛ける。聡里が持ってきた二人分の昼食をテーブルに並べると、コーヒーを淹れるべく高橋が席を立った。

「昶、どれがいい?」

「え、先に聡里が選びなよ。聡里が買ってきたんだし……」

「どれでも食べられるやつだから、昶が選んでいいよ」

 ほら、と目の前に広げられた昶は素直にその好意を受け取った。そのどれもが自分の好みのものだと知っているからこそ、真剣に悩んでしまう。

「可愛いねぇ」

「誰かとは大違いだな」

「もちろん和意ともね」

 暫くあったブランクがまるで嘘のように、他愛のない会話が交わされる。昶がこの空間にいることを当然の如く扱う生徒会面子に、昶はなんとも言えない感慨を味わった。

「ところで聡里くん。ご返答はいかに?」

 昶と聡里の食事が落ち着いたころ、高橋の淹れたコーヒーを前に斎賀が口を開いた。

 何の話だろうと、昶が視線を向ける。視界の中で眉間に皺を寄せる聡里と含んだ表情の斎賀が顔を合わせていた。

「僕としては、あまり面倒は背負いたくないんですよね」

「権限があれば、別な意味で面倒が少なくなると思うよ。雑用係はすべて金児に任せればいいし、生徒の中央に立つことと議事の進行がメインの仕事になる。あとは年間のスケジュールとかあるけれど、大体分かるだろう?」

「それは、そうなんですけれど……」

 言葉を濁した聡里が横目で昶に視線を飛ばしてくる。だが話の見えない昶にその意味が分かるはずもない。首を傾げた昶は隣に座る和意に救いを求めた。

「何の話?」

「聡里に来年の生徒会長をやらないかって打診してるんだよ」

「生徒会長!?

「おや、ご不満かな?」

「ち、違います!」

 勘違いされてはたまらないと、昶は勢いよく首を横に振る。そして改めて聡里の生徒会長姿を想像してみた。

 友人の欲目を除いても、聡里が現会長である斎賀の代わりに壇上に立とうともその姿に遜色ない。一度決意したら、聡里はきちんと斎賀とは違う手法で会長職を全うするだろう。

「生徒会長か……聡里、一生徒から出世だな」

「何を他人事のように……」

「だって他人事だし」

「何を言ってるの。聡里くんが生徒会長を受けたら、君は自動的に副会長に就任だよ」

「……はい?」

 あっさりと告げられた決定事項に、昶の頭は一瞬で真っ白になる。

 イマ、ナンテイッタ?

 聞こえた音を認識したくないのか、頭が素直に回転しない。

「とりあえず体育祭の間は見習い期間として、いろいろと手伝ってもらうことになるから。―――まさか、嫌とは言わないよね?」

 拒否を許さない笑みに、昶の顔は引きつった。

 救いを求めるように移した視線の先では、苦笑や冷やかし、困惑気味な表情が昶に向けられている。

 斎賀が突拍子もないことを言うのは慣れてきていたものの、こんな事態は想定外だ。

 おまけに隣に座る一番の頼りであるはずの人物は、悠々と高橋の淹れたコーヒーを口に運んでいる。

 驚くリアクションがないのは、事前に斎賀と何らかの話し合いをしていたということだろう。本人を交えることなく行われたそれは、彼らの中ですでに折り合いがついているに違いない。

 生徒会長の決定には誰も逆らうな。

 これが青南高校の不文律で、昶にそれを破る勇気はない。勝手に決められた未来は、否応なく降りかかってくることを昶は覚悟する必要がある。

 だが、理性と感情は別物である。このやりきれない思いをどうしてくれようか。

 昶は体ごと和意に向き直り、その耳元で思いっきり息を吸い込んだ。

「――――っ、先輩の、馬鹿っっっ!」




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