陽のあたる場所 =4=





 目が覚めたのは習慣のせいだと思う。
 枕元の騒音を止め、決まった時間に一人で起きて適当にパンを食べて学校に行く。またくだらない日々が始まるのだ。繰り返される、毎日が。
 まだ鳴らない目覚まし時計を取ろうとして伸ばした手が空振りをした。
 時計が……ない?
 寝ぼけたまま数度手を動かしても、目当てのものは手に引っかからない。
「――んで……」
 おかしい、と続くはずだった言葉は消えてしまう。之路はすぐに声が掠れているのに気がついた。聞き覚えのない声音にぱっと目を見開く。
 風邪でも引いたんだろうか。
 喉に手を当てていると、何かが体に巻きついた。慌てて逃れようとすればきつく抱きしめられる。肌から直接感じる温もりに、之路は心臓が騒ぐのを感じた。声を上げなかったのは奇跡に近い。
 いや、それよりも。背中にいる人物を恐る恐る肩越しに振り返る。そこに見覚えのある顔を見出し、之路の心音は更に速くなった。
 目を瞑っていても鑑賞に耐える顔というのは本当にあるのだ、と場違いなことを考えたのは一瞬のこと。感情の爆発よりも先に、肩の力が抜けていった。
 寝息を立てる天野の腕に抱きこまれている。嫌がる之路を宥めすかしながら主導権を握り続けた男は、言葉通り一晩中之路を放さなかったらしい。憎らしいことにその穏やかな眠りが昨夜をまったく思い出させないすがすがしさを醸し出していた。
「………」
 まじまじと見つめていた自分に気づき、之路は慌てて視線を反らした。首が痛くなるまで男を視界に入れていたのだと思うと、今更ながらに顔が赤くなる。
 他人と肌を合わせる事を知らないわけではない。その快感を何度も体験したことがあるが、こんなに相手を確認しようとは思わなかった。お互いの欲望を解放して、それで終わりだ。相手と一緒に朝を迎えたことなんて、一度もない。
 肌に触れる体温が不快だとは思わない。
何よりもその温もりを好む自分がいる。
 規則正しい寝息に誘われるように、溜息が出るはずだった口から大きな欠伸が出た。どこまでも疲労した身体は眠りを欲しているらしい。
 背中にあたる胸が起隆するのを肌で感じ、之路は無意識に目を閉じていた。
 次に目覚めたのは太陽が完全に昇りきってからだった。
隣りにいた人物の姿もなく、広いベッドに之路一人が眠っていた。天野がいたスペースはすでに冷たくなっている。
「……なんだ」
 零れた言葉に、之路は目を見開いた。自分は今、何を考えたんだろう。
 何とも言いようのない感情が浮かんできて、之路は頭を振ることで誤魔化した。別のことを考えよう。切り替えた瞬間、昨夜のことを思い出して之路は赤面した。昨日の醜態が一気に蘇る。
『ゃめ……っ』
『もぉ……やだぁ……』
 口にしたこともないような弱々しい声はいつしか喘ぎともつかないものに変わる。
 最後には舌足らずの口調で懇願した。だが聞いてもらえるかは別問題で、泣いても許してもらえず、最後まで涙が止まらなかったような気がする。
 強引で、しかし優しく之路を気遣う彼に之路は翻弄された。力強い腕と之路を捕らえつづけた指、そして之路の体温を上げた彼の熱が今も傍にあるかのようだ。
『忘れてしまえ』
 ふと、天野の声が蘇った。
 呪文のように呟かれた言葉は何を示しているんだろう。村来に触られたことならば、彼の思惑通り消えてしまっている。それよりも、彼の望むがままに痴態を演じた自分を忘れてしまいたい。
 目が覚めた現在、今朝方の寝ぼけた自分が恨めしい。どうしてあそこで目を閉じてしまったのだろう。誰かの体温を感じるなど、苦手の部類なのに。
「………」
 ベッドに座り込み、じっと自分の手を見る。男らしくない華奢な手。そこに他人の手が重なり、之路はうろたえる。
 天野の手は自分より大きく、容易く之路を押さえこんだ。抵抗が意味をなさず、弱き者と強き者の差が嫌というほど見せつけられた時間。押さえつけてくる影に之路は為す術がないまま翻弄されることがどれだけ屈辱的なことか。
「……結局、一緒なんだよ」
 ポツリとこぼし、之路は膝を抱えた。しんとした部屋に言葉が消える。
 之路を意志のない人形のように思うまま蹂躙した男。そんな男との会話を楽しんでいた自分に腹が立つ。
 それと同時に情けなくなる。
 どうして、ここまで自分は傷ついているのだろう。
「……さいてー」
 目頭が熱くなる。だが、その先に続くものはない。
 胸の中に渦巻く何かを逃すように、之路は深い溜息をついた。






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