陽のあたる場所 =3=




 暗闇があたりを支配していた。
 見えるものは何もなく、何かに覆われているような感触さえある。
 ふいに、意識が自分自身へと戻った。
 何かが這いまわっている。汗ばむ肌も嫌がる抵抗も何ら気にせずに。
 上げかけた声は喉に詰まって出てこない。音になる前に溶けて消えた。
 いつのまにか封じられた抵抗――指一本動かせない状態に言葉を失う。
 汗が背筋を撫でるように滑り、嫌悪感はますます激しくなっていく。
 嫌だ、と頭の隅で呟いた。
 それが反響するように、更に奥のほうで何かが呟かれる。
 触れてくるそれは触手のように、之路を捕らえ逃がすまいと拘束感を強める。
 ――嫌だ。いやだ。イヤダ。
 自分の叫びが文字となって頭を支配する。
這いずる感覚は未だに終わることがない。それどころか増えるそれに、之路は首を振った。
 そして、またどこかで声が反響する。
 何を言っているのかもわからない。
だが、それが何でも良かった。
 この悪夢から、逃れられるものならば――。



 パンッと何かが破裂するのに似た音がした。続いて、痛みが之路の神経を奪っていく。それが頬の痛みだと意識した途端、覚醒する。
 視界の端から入ってくるほの暗い灯りに、之路は瞳を瞬かせた。ぼやけていたそれがはっきりしてくる。視線を彷徨わせていた之路は、顔の傍にある手を見て身体を退いた。枕に身体を押し付けるようにして、それを凝視する。
 歯が鳴るほど震えが止まらない。
 低い声音に之路はさらに壁へと身体を寄せる。
 薄明かりの点けられた部屋の中、自分以外の人影が壁に映っている。それが更なる恐怖心を呼び覚ました。
 限られた空間で、之路は抵抗をした。側にあった枕をはじめ、手当たり次第に物を投げつける。嫌だと叫び、人の気配を厭う。
 投げるものがなくなれば、あとは縮こまるしかない。震える手足を引き寄せ、壊れたラジオのように繰り返し叫び続ける。
 だが、そう長く防げたわけではない。伸びてきた手に掴れ、ベッドの上を引きずられる。必死になって暴れるが効果はない。
「だ……れか……嫌だっっ」
 助けを求めたそのとき、再び頬に痛みが走った。抵抗を忘れたその一瞬に、之路の身体は男の胸へと抱きこまれる。
「大丈夫だから」
 耳元で囁かれた低い声が神経にまで染み渡る。数度瞬きすることで之路は今の状況に神経を使い始めた。
 声や頬が乗る肩口、自分の抵抗を奪うその温もりも全て覚えがあるものだ。しかし、宥めるように動く手が、ソウではないことは確かだともう一人の自分が訴えている。
 ようやく呼吸が楽になったのに気がついた之路は、そっと視線を上げた。薄明かりのついた闇の中、自分を抱きしめる相手を確認し慌てる。
「ぅわ……っ」
「……ずいぶんな挨拶だな」
 天野は普段と変わらない声を出した。どうしてここにいるのかわからない之路は天野に言葉を求める。だが説明よりも先に指が眦に触れた。それで初めて自分が泣いていたことに気付く。
「ずいぶん魘されていたぞ」
「……ごめん、迷惑かけた」
「気にするな」
 あっさりと流すのが男らしくて、之路は力なく喉で笑った。宥めるように髪を梳く手が気持ちよくて、之路はそっと目を瞑る。
 思い出したくない過去がある。体が拒絶反応を起こした時は相乗効果で呼び起こされる忌まわしい記憶。
 ――天野に知られたくない。
 理由を考えないまま、之路はそれを喉の奥に飲み込んだ。
「俺……倒れたんだ?」
「覚えてるか?」
「――いつ来たの?」
「そこはないわけだ。良くあることなのか?」
頻度を聞かれれば之路は首を振ることで否定した。発作的なことだから、と小さく呟くと、天野は溜息をつく。
「あの男のせいか?」
 言わんとする人物が浮かんで、之路の体が先に反応する。途端に目の前の男が表情を硬くした。髪を撫でる手が之路の腕を掴む。
「何をされた?」
「……痛っ」
 その力強さに之路は顔を顰めた。すると拘束は弱まったものの、その視線はますます迫力を増す。
「言えないのか?」
「……酒、飲まされた。ずっと手を掴まれたままで……ねちっこい感じ」
 男が見れなくて、之路は視線を反らす。しかも言うことで感触を思い出してしまった。気色悪さに捕らわれた之路はやり過ごすのにいっぱいで、天野の反応に気がつかない。
「他は?」
「他、って……」
 何のことだ。問いかける前に、之路は天野の顔が迫っていたことをようやく知る。慌てて逃げようとするが、そのスペースもない。
「こういうことだよ」
 躊躇いもなく重ねられた唇に、之路の思考はストップした。遅い抵抗を始めてもびくりともしない。それどころか之路の両手首をそれぞれベッドへ押さえつけ、更に押し付けられる。
 息苦しさに涙をする頃、一瞬自由が戻った。とっさに息を吸い込む。
 それを待っていたかのように、再び唇が重なってくる。
「……ぅ」
 舌で唇を割り侵入しようとするが、それは食いしばった歯に拒絶された。
 まだ余裕のあるそれに天野は口元で笑った。ならばとそのまま舌先を使って歯茎に触れる。
「ん―――っ」
 之路が首を振って拒絶を示すが、まったく意味をなさない。それどころか、乾いた表面を舌で潤し、愛撫するように上唇が挟まれる。
 頭を振ることで逃れようとしたが、男の拘束には勝てない。それどころか動いたことで余計その拘束が強まる。
 唇の形を辿っていた男の舌が之路の抵抗が弱まった隙に口腔内へと侵入した。歯の裏や上顎など一通り愛撫をしたあと、奥で縮こまっていた目的のものを絡め取る。
「……っっ」
 更に深くなる口付けに、之路は目を見張った。普段とは逆の立場でリードされ、好いように扱われる自身を認めたくない。その反面奪われるその激しさに身を傾けたくなる。
 自分の思考に囚われている間も、男は好きなように之路を手玉に取る。
 唇が完全に離れた時、之路の意識は朦朧としていた。男の濡れた口元や男との間にできた掛け橋が、いやに生々しく事実を見せつける。
「――忘れさせてやろう」
 毒のような甘い痺れに酔いかけていた之路は、この一言で我に返った。
 突き放そうと男の胸についた手を捕らえられ、力で敵うはずのない之路は抵抗を封じられる。我に返った一瞬、彼は息を呑んだ。男の目に宿る暗い光に体が震える。
「ぃ……はなせっ」
 手首を掴む天野の力に之路は眉を顰めた。体全体を捩るが男はびくともしない。初めて之路は天野を意識した。自分が知らない男の胸に近づいていることを。
逃げなくてはいけない。
 ――なのに、動けない。
目の前にある不敵な笑みに息を呑んだ。





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