陽のあたる場所 =14=





 ――夢を見た。
 窓も壁も家具も、何もない部屋にいる夢。
 どこからか入る光に照らされた明るい場所に、丸くなっている。
 そこには黒い影も力を誇示する輩もない。
 あるのは暖かい陽射しだけ。
 見守るような優しさがそこら中に溢れていて。
 撫でられるような心地好さに、素直に身を任せる。
 何の心配もいらないと空気に囁かれ――心の中で溜息をついた。
 ここが現実であれば良いのに、と。




 誰に何と言われようと、結局自分は真面目なのだと思う。しかも恐ろしく中途半端な。
 翌日自然に目覚めた之路はまだはっきりとしない頭であたりを見回した。相変わらず遮光カーテンで締め切られた窓の隙間から、光が零れている。広いベッドの中で目覚めた之路は何度か目を擦った。
 見覚えのある空間が視界に入る。そして着せられている見覚えのないパジャマの袖が映った。
 ぼんやりと隣りを見れば、そこはもぬけの殻。温もりも残っておらず、抜け出した痕跡さえ見当たらない。
 天野が、いない。
 冷たいシーツに触れて認識した途端、之路の胸が騒いだ。
 この展開には覚えがある。
 ちょうど一週間前に、之路は同じ状況下にあった。天野と身体を重ねた翌日、一人ベッドの上で目覚めた時と似ている。
 違うのは、あの日天野の腕の中で眠っていた自分を覚えていることだ。初めて感じる人の温もりに戸惑い、どこか安堵して目を瞑った記憶がある。
 だが、今日はそれもないのだ。温もりすら与えられずに目覚めてしまった。
 胸に穴が開いたような寂寥感に之路の目頭が熱くなる。
 流されたのではなく、自分から受け入れた。之路が彼を望んだのだから、行為自体に対する後悔はしていない。
 後悔をしていないけれど。之路はすぐに表情を変え、唇を噛んだ。そうでもしないと、胸の中の何かが溢れてしまいそうな自分に気がついてしまった。
 甘い告白を期待していなかったといえば嘘になる。
 自分の想いを自覚してから躯を合わせたからこそ、天野の不在がこんなにも辛い。
 何かに縋りたくて、でも視界に入るのはクローゼットという殺風景な部屋。モデルルームでももう少し物があるだろうと思うくらいに、余分なものは一切置かれていない。それなのに、天野の寝起きする姿が見えてくる気がする。
 ここが天野の空間だと感じた瞬間、之路は胸が苦しくなった。まるで空気が薄い場所にいるように、浅い呼吸しかできない。
 ここを出てしまえば、今度こそ戻ってくることはないだろう。
 今度こそジ・エンドだ。
 彼の部屋だというほかは何も感じられないこの場所にいたくない。
 すこしでも長く天野と繋がっていたい。
 でもこれ以上ここにいられない。
 ベッドに腕をついて体を起こしかけた之路は、次の瞬間その場に崩れ落ちた。腕の力もさることながら、腰から下に力が入らないのだ。この前とは比較できないほど、身体がだるい。
 理由など、考えるまでもない。
 昨夜酷使された身体の悲鳴は心のそれなのだろうか。
 ふいに乾いた笑いが之路の口から漏れる。
 それでもまだ、天野が恋しいなんて自分が憐れだ。




「起きたのか」
 想いにとらわれていた之路は扉の開く音に気づかなかった。
 耳慣れた低く掠れた声に、まず聴覚が働いた。次いで心臓がどくりと音をたてる。
 ゆっくりと時間をかけて振り向くと、その間に近づいていた天野が目の前にいた。パジャマでもなくスーツでもなく、普段着を着ている。
「……天野、さん」
 夢だと思った。これは、自分の都合のいい想像なのだと。
 ベッド脇に立った天野が指を伸ばす。かすかに突っ張る頬を撫でられ、之路は微かに身を引いた。
「泣いたのか」
「……泣いてない」
 自分の言葉が嘘だと知っている。今でさえ目頭が熱く、先ほどまで涙ぐむのを我慢していた反動か、感情がセーブできそうにない。
 之路と視線を絡ませたまま、天野はベッドヘッドに近い位置で腰を掛けた。体重を受けたスプリングがその分傾き、之路の身体が自然引き寄せられる。
 慌てて俯こうとすれば、やんわりと止められた。
「離せよ」
「その必要はないだろう」
「なんで、あんたがっ」
 それを言うんだよ。
 之路は震える唇を噛締めてだるい躯を反転させようとした。だが、それを素早く回った腕が阻止する。せめてもの抵抗で瞳を伏せれば、目尻に熱が押し付けられた。
 それは頬に眉間にとそのまますべり動く。頑なさを宥めるように根気よく続けながら、天野は徐々に之路を抱き寄せた。
 次第に之路の身体から力が抜けていく。
「……ずる……っ」
 ほかに言葉も浮かばず、之路は小さく呟いた。観念した証に目蓋を閉じると、すぐさまそこにも唇が落ちてくる。
 間を置かず、頬が濡れるのを感じた。
「………っ」
 咄嗟に拭おうとした手は天野に止められる。そのまま厚い胸へと頬を埋めるように促されてしまえば、動くことは叶わなくなる。
 過去にあったことが悔しいんじゃない。
 彼以外の誰かに触れられる恐怖を思い出したのでもない。
 ただ、天野が傍にいなかったことが淋しかった。
 醜聞も何も気にせずに泣くことなんて、少なくとも体面を覚えてからの之路には覚えのない行為だった。しかし堪えようにも後から声が続き、自分でもどうしようもなくなる。
 心の中にあったわだかまりが全て溶けて流れ出るまで、之路は天野の腕の中で肩を震わせていた。
 やがて落ち着いてしまえば、自分の姿が恥ずかしくなる。子供のように泣き叫ぶ自分をどう思ったのだろう。
 泣く本人でさえなす術がないのだから、目の前にいる相手はさらに困惑したに違いない。
 恐る恐る潤んだ瞳で見上げれば、しかし、真剣な顔がそこにある。腫れぼったくなっている目元にキスを落とすと、天野は口を開いた。
「不安にさせたな」
 そっけないほど言葉が足りない。しかし、之路には充分だった。自分を見つめる目が何よりも雄弁に語っている。
 逆に之路が泣いた理由を彼はほぼ正しく理解しているのかもしれない。それを思うと言葉で伝えることのできなかった自分が少し恥ずかしい。
 この感情を誤魔化すわけではないけれど、今は謝罪よりも欲しいものがある。
 無言のまま瞳を閉ざせば、間を置かず望んだものが与えられた。



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