陽のあたる場所 =11=



 事態が逆転したのは、一瞬の出来事だった。
 狩る者と狩られる者、それぞれが周りの音に注意を払っていなかった。荒々しい足音に気がついたのは、村来が先だった。
 やっきになって之路の中心を口腔に貪っていた村来の襟首を掴んで引き離す。驚く声が何かにぶつかる音にかき消され、やがて呻き声に変わった。
 そして静寂。
 天野を呼びつづける之路は、突如自分から離れていった男を気にする素振りを見せなかった。
 彼を支配するのは、もう、天野に顔を合わせられないだろうということだけだ。
 もう、天野には会えない。
 それなのに呼びつづける自分の気持ちは一つしかない。
「――之路」
 低くはっきりとした声が呼んだ。聞き覚えのある、しかも焦りのにじんだ声音が傍にある。
 涙の後を辿るように頬に触れた指が促すまま、之路は恐る恐る視界を開いた。
 目前の人物を見た瞬間の気持ちは、表せない。
 ただ、呆然と之路は彼を見つめることしかできなかった。
 村来に対する敵意を隠さないまま、彼が之路を抱きしめる。ベッドに消えていく深い溜息が、多くを語らない彼の気持ちを何よりも代弁している気がした。
 着ていた上着で之路の身体を隠すと、彼はおもむろに之路を拘束している布に手をかけた。手首上では固定されていなかったらしく、彼は柔らかく之路の手首を掴み、そこから開放した。
 無言で見上げる之路を彼は抱き起こした。上半身をたくましい胸に抱かれて、之路はその熱を甘受する。
 身体が震えるのは、寒いからでも拒絶からでもない。
 嫌悪感が安堵に変わる。
 器用な指が、目じりに引っかかっている涙を拭い去った。腕の中から見上げれば、真正面から瞳がぶつかる。
「遅くなって、悪かった」
 相変わらず淡々とした話し方に、之路は自分の唇が震えるのを感じる。
 助けに駆けつけてくれた。それだけでいい。
 そう口にしようとして失敗した。村来に捕らえられていた時よりも、涙が零れ落ちる。
 言葉が止まらない。
「もっと……もっと早くこいよっ」
 之路が自由を奪われる前に。襲われる前に。――悩んでいる間に。
 理不尽な言葉だとどこかで責められる。だが、之路の本音なのだ。
  会いたくないと思った。
 逢いたいと思った。
 顔を合わせた時、彼が浮かべる表情を想像すると恐かった。
 彼と過ごす時間を渇望していたのが、今ならわかる。
 之路は彼の腕の中でほっとしている自分を素直に受け止めた。
「……ああ、悪かった」
 抱きしめる力が強くなるのに涙が止まらなくなる。
今の自分はどこか壊れているのだろう。シャツ越しに伝わる温もりと、項を掠める吐息が嬉しいなんて。
 出会って二週間。
 抱かれたのが出会って一週間目。
  そのあと一週間のブランクがある。
  誰よりも一緒に過ごした時間の短い相手。
 こんなにも、この男を待っていたのだ。
 もう、誤魔化せられない。




「お前ら、いい加減にしろよ」
 状況も忘れて天野の腕に収まっていた之路は、予想もしなかった声に瞬いた。この声に心当たりがある。
 思い当たると同時に之路の頭上で舌打ちが落とされた。厚い胸の振動が伝わってくる。
 慌てて離れようと、目の前にある胸を腕の力で押した。ところが微塵も動く気配がなく、逆に抱き込まれてしまう。
「うるさいぞ、外野」
「だったら言いたくなる状況を作るな」
 不機嫌な声とともに天野が振り返る気配がする。腕の力が緩められなくて声の主を見ることはできないが、間違いなく尚貴の声だ。
「黙ってあいつを相手してろよ」
「俺も之路のほうが大事でな。だいたいお前は……」
 普段の年上らしい貫禄もなく、二人の口論はただの口喧嘩となっている。
 第三者がいることを意識した途端、自分の現状を気にする余裕が出てきた。そして絶句する。今の之路は裸同然で天野に抱かれていた。背後を隠すのは脱がされかけたシャツのみで、下半身は天野のジャケットが辛うじて隠しているにすぎない。
 身動ぎしようにも尚貴を相手にしている天野が之路を放そうとしないのだ。
 どうにも行動ができくて俯いていると、ふいに之路の肩に布がかけられた。それがシーツだと気づいた之路は、次の瞬間誰かに耳を塞がれた。
 振り返る間もなく、二人の声を掻き消す大音量が響く。
「スト―――ップ!」
 次の瞬間頭上で叫ばれ、之路は目を見張った。予め耳栓をされたが、その声はしっかりと届いている。一番近くにいた天野は特に驚かされたのではないだろうか。
 いや、なによりも。
「……ソウ、さん?」
「みっともないから止めなよ。ユキが困ってる」
 いい年のくせに、と言い捨てるその口調は店のものとはまったく違う。一年以上をかけて彼を知ったつもりでいたが、まだ全てではなかったらしい。
「だいたい、今そんなことをしている場合じゃないでしょうが。とっととやることをやったらどうなんですか」
 言いたいことをきっちり放ったソウは、次に之路を見つめて微笑む。その表情は二人に向けたものとは別の、之路を甘やかすものだった。
 自分たちよりも年の若い人物に止められた大人たちはお互いに肩を竦めると、ようやく他に意識を向け始める。
 尚貴は未だに転がる男へと向き直り、何かを探り始めた。天野は之路の身体をソウが用意した布で包み始める。
「これは?」
 するとソウはそのへんからね、とあっさり答えた。
「二人がラブシーンやってる時に捜したの。ちゃんと洗濯されてるみたいだから大丈夫だと思いますよ。ユキ、とりあえず帰るまでは我慢ね?」
「……帰る?」
「服はあとでちゃんと届けてあげるから。とりあえず今は天野さんに連れ出してもらいなさい。――頼みましたよ」
「ああ。後は任せた」
「さっさと連れてけ」
 軽々と之路を抱き上げると、天野は大股で部屋を出て行こうとした。
 ソウたちに何か声をかけようとすれば、顔を天野の胸に押し付けられてしまう。そのまま宥めるように髪を梳かれ、之路は子供のようだと小さく笑った。
 それが聞こえたのだろう。微かに天野の雰囲気が変わった気がする。
 肩口に頬を埋めると、彼が顎で之路の頭を挟み込んだ。あやされる感覚に之路はそっと目を閉じる。
 自分を包むすべてが温かい。
 扉が背後で閉まった音と、顔にかかった溜息だけが辛うじて感覚に残っていた。




  novel  



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