カウントダウンの恋 5




 和意先輩と戻った僕は、会長から帰宅の許可が出された。会長の「今日だけだよ〜明日からは凄いよ〜」という言葉が誇張じゃないことを僕は知っている。まだ残っている生徒もいたけれど、遠慮なく生徒会室を後にした。

 いつもより遅い帰り道は、少しだけ風景が違って見える。いつもなら風に乗って届く騒がしい子供の声も、さすがに今日は聞こえない。

 追いつき追い越せと走る彼らの姿は、僕にとって憧れそのものだった。あの輪に入りたくて―――入れなくて。

 無邪気に走り回れない身体は、近所の子供から遠巻きにされる十分な理由になる。僕の遊び相手はいつも実里ちゃんか誠ちゃんだった。

 自分の友達と遊びたかったはずなのに、嫌な顔をしないで傍にいてくれた二人。実里ちゃんが一足先に中学へ進学してからは、主な遊び相手は誠ちゃんだった。

 誠ちゃんが剣道の時間は道場にお邪魔して、時々無理しない程度に身体を動かしたこともある。

 誠ちゃんが付属の中等部に入ると、初等部は近いからと時々迎えに来てくれた。学校から離れたところでする自転車の二人乗りは恐くて、でも楽しくて。最後に乗ったのは、誠ちゃんのお兄さんに見つかって怒られたときだ。

 真面目な誠ちゃんは素直に二人乗りを止めたけれど、僕は不満で仕方なかった。

 むっとした僕を宥めたあのときの誠ちゃんは、どんな気持ちだったんだろう。

「―――……またやっちゃったよ」

 無意識のうちに脳裏を過ぎる、誠ちゃんとの思い出。

 僕の過去はほとんど誠ちゃんが占めている。振り返れば振り返るほど、どれだけ彼が僕を支えてくれていたのかを思い知らされてしまう。

「………帰ろう」

 過去に背を向けるように、僕は踵を返した。

 感傷に浸ってしまったせいか足取りが重い。家に着いたときには、もう夕焼けが見えなくなり始めていた。

「ただいま」

「お帰り」

 鍵を開けて入ると、ちょうど私服姿の実里ちゃんが階段から降りてくるところだった。その手にはサイフが握られている。

「あれ? 出かけるの?」

「買いたい本があるのを思い出したの。ちょっと行ってくるから、それまで晩御飯待っててくれる?」

「そっか、二人ともいないんだっけ」

 今日は両親が揃って外食の日だ。学校のごたごたですっかり忘れてたけれど、そういえば朝言われた気がする。

 僕が中等部に上がってから、両親はようやく夫婦のイベントを二人だけで行うようになった。それまでは僕の身体が落ち着かなかったから、気安く外出もできなかったしね。

 二人が出かける日は、冷蔵庫に姉弟分の晩御飯が用意されているのがお約束だ。

「思ったより早く帰ってきたから、待たせることになっちゃうんだけれど」

「それは別にいいよ。一緒に行く?」

 鞄を置く僕の横で靴を履いていた実里ちゃんは、ひらひらと掌を軽く振った。

「大丈夫。一時間はかからないから安心して」

「……それを心配してるんじゃないんだけれど」

 外が暗くなり始めてるから言ったのに、実里ちゃんは違う意味で捉えたらしい。

 実里ちゃんは家族が呆れるくらいの本屋好きで、一度行ったら二時間くらいは平気で時間を潰してくる。店にとってこれほど厄介な客はいないと思う。

「わかってるわよ。私の心配をなくすためにも、家で待ってて」

「はぁい」

 逆らえない僕は子供のような返事をする。にっこり笑った彼女は、それこそ子供に対する態度で僕の頭を撫でた。

「いい子で待ってるのよ」

「実里ちゃんっ!」

 僕が文句を言う前に玄関から出て行ってしまう。

 鍵よろしくね、という声が玄関の向こうから聞こえてきて、僕はその場に沈み込んでしまいたくなった。

 気持ちを入れ替えるように溜め息をついてから、言われた通りに鍵を閉める。その指が震えていることに気づいて、僕は苦い笑みを浮かべた。

 一年生が言っていた、誠ちゃんの「彼女」。それは間違いなく実里ちゃんのことだと思う。

 彼らが何を目撃したのかは知らないけれど、二人が付き合っているのだと判断する材料を僕も知っているから。

 ここ数年で身長差ができた二人は、理想的な男女という雰囲気が醸し出している。実里ちゃんの話かけに耳を傾ける誠ちゃんの姿を、僕は何度か見かけたことがあった。他にも、腕を絡ませて、実里ちゃんのペースに合わせて歩く姿とか。

 見たことのない誠ちゃんの照れた顔が、凄く心臓に痛かった。

 僕が誠ちゃんから距離を置くようになるにつれて、二人の仲はますます深まったような気がする。

 それに、気づいたら誠ちゃんは実里ちゃんを呼び捨てにしていた。

 実里、と。

 初めて聞いたとき、僕の全ては凍り付いてしまった。

 誠ちゃんが僕のことを構ってくれていたのも、僕の後ろに実里ちゃんがいたから。

 気づいた瞬間から、息が苦しくて仕方がなくて。その理由を考え続けた僕は、湧き起こる想いに泣きたくなった。

 誠ちゃんと僕たち姉弟の関係は、僕が剣道場で練習する誠ちゃんを見かけたのが始まり。

 実里ちゃんが同じ学校に通うようになって、幼馴染に昇格して。

 誠ちゃんが僕の通う青南で先輩になって、僕が一番彼に近い後輩になって。

 僕と誠ちゃんの距離は年数を重ねるごとに近づいていたと思う。

 でも、気づいたら実里ちゃんが僕よりも近い存在になっていた。

 自分のことを後回しにしてまで、弟の僕を大事にしてくれる実里ちゃん。

 不器用なところがあるけれど、本当は優しくて誰よりも逞しい誠ちゃん。

 二人とも自慢で、とても大切な人たち。

 でも、二人が想い合うのは嫌だと思った。

 その視界に入るのは僕がいい、と。

 ―――実里ちゃんに盗られたくない、と。

 一度胸の奥底で芽生えた感情は楔となって、僕の中から消えようとしない。

 だからといって、表に出すこともできない。

 でも、抑えることはできるかもしれない。

「……抑えるしか、ないんだから」

 弱気になりかけた自分に、何度言い聞かせただろう。

 同じ家に住む実里ちゃんにはいつも通り接して、誠ちゃんとは反対に距離を置く。

 そんな生活を毎日続けていたら、いつかは慣れるだろうと思っていたのに。

「―――……っ」

 胸の奥が痛い。

 このままじゃ、ダメなのに。

 あの日から、自分の思いに取り込まれるのは自分の部屋だけと決めた。一歩廊下に出たら外に出るまでは心の感情に蓋をする。

「……そうだ、着替えないと」

 いつまでも制服のままでいたら、実里ちゃんに心配をかけることになる。

 でも、もう少しだけ今の状況に浸ってもいいだろうか。

 そのためにも部屋に戻りたくて、僕は重くなった足で階段を登り始めた。




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