カウントダウンの恋 4
逃げるように生徒会室を出た後、僕は悪態をつきながらも部活動巡りを始めた。逃げ出すことができるのは誠ちゃんの前からだけなのだと、心の奥底からつくづく思う。
「詳しいことは書いてありますから。提出期限は守ってくださいね」
決まり文句でダメ押しした僕は、お辞儀をして後にする。
文化部は活動していたほとんどの部とコンタクトが取れたし、これで運動部もほとんど終わり。
さすがに運動部は曜日限定ということがないらしい。主将ともなれば出席率もよく、順調に用件を済ませて残ったのは一つ―――剣道部のみ。
その文字に、僕は思わず溜め息をついた。
何の問題もないはずだと自分に言い聞かせても、向けられる非好意的な視線を前向きに受け止める気力はない。
頭に浮かんだ会長の笑みが、今更ながらに悪魔のそれに思えてくる。
「……ほんっと最低」
テニス部に顔を出したとき、龍二が心配そうな顔をしていた。一緒に回ると言ってくれたのを断らなければよかったと後悔する。
だからといって剣道部だけ無視するわけにもいかない。
「よしっ」
気合を入れて潔く歩き出す。
まるで敵に向かう冒険者みたいだ。でも意気込む必要があるほど、僕にとって剣道部は鬼門なのである。
否、正確には一部の生徒が、だ。
容赦なく浴びせられる不躾な視線と心無い中傷。理不尽なそれに、僕は悔しくて何度も陰で泣いた。
それも、今は昔、の話だ。
どうしても我慢できなくて泣いていたのを、偶然通りかかった和意先輩に呆れられたのがたぶん最後。
現状を把握していた彼は、僕に開き直れと言った。
今は何を言われても受け流すだけの強さを持て、と。
以来、何を言われてもそれに耳を貸さないようにしている。それがまた彼らの気に食わないみたいだけれど、別に構わないと思えるようにまでなった。これも成長のひとつだろうか。
剣道部が練習場所としている建物が見えてきた。開け放たれた二つの入り口があって、そのひとつには見学者が張り付いている。
どうして片方だけかというと、見学者のあまりの騒がしさに禁止令が出たからだ。禁止されたのは上座側で、コーチが全体を仕切るときに邪魔にならないようという意図があるらしい。
当然僕はもうひとつの方へと迷わず進む。剣道場の入り口から顔を覗かせると、近くに級友の姿がある。嬉しい偶然に、僕は笑みを浮かべた。
「神崎」
彼は僕が剣道部に近づかないことを知っている一人だ。そして、僕と知り合いでなければもっと居心地よく部活を続けられたのに、問答無用で貧乏籤を引いてしまった一人でもある。
しかし彼は僕に対する態度を変えなかった。「工藤は何もしていない」と言って。
同じ付属から上がってきた剣道部の生徒で、はっきり言ってくれたのは彼が最初だった。それが僕にとってどれだけ嬉しかったのか、彼はきっと知らないだろう。
「! ……どうしたんだ?」
素振りを止め近づいてきた彼の言葉に、僕は肩を竦めてみせる。
「練習中にごめん。体育祭の関係で主将に会わなくちゃいけないんだ。なるべく早めに撤退するよ」
「そうだな、その方がいい。すぐに呼んでくる」
神妙な表情で言い置いて、彼は主将と思しき人のところへ向かう。
その後姿を目で追いながら、四方から飛んでくる視線に早くもうんざりとし始めていた。
彼らの中でもまだ決着がついていないのだと、改めて僕は知る。
僕が中等部に上がった頃、すでに誠ちゃんは剣道部の有力選手だった。無駄のない動きとその気合とで対戦相手を威圧する。その姿に憧れた生徒は数少なくない。
幼馴染の贔屓目を抜きにしても、芳原誠吾という人物はできた先輩だと思う。
アドバイスを求められれば丁寧に応じるし、質問にも的確に答える。その代わり、誠ちゃんは後輩の誰に対しても平等だった。―――僕以外には。
僕自身は誠ちゃんに媚びたつもりはないし、誠ちゃんを知っていることに優越感を持ったこともない。今まで通り幼馴染として接していた僕は、一部の同学年の生徒、特に中等部からの入学者に快く思われなかったようだ。
練習を見学に行けば視線を向けられ、これ見よがしに小声で話す姿が多々見られた。
廊下ですれ違いざまに悪態をつかれたこともある。
僕のことを誰がどう思おうと関係ない。そう言い切れたのもつかの間のことで、すぐに僕は見学をやめた。僕が練習を見に行くことで、剣道部をかき回しているように思えてきたからだ。
何よりも、誠ちゃんの居場所に悪影響があるとわかったから。
誠ちゃんに怪訝な顔をされながらも、僕は自分の意志を曲げなかった。
ところが一年経った今も、彼らの僕に対する視線は変わらない。それどころか、増しているような気配すらある。
奇しくも彼らの望みに添う形で、今の僕は誠ちゃんから距離を置いている。これ以上、僕に何をしろというのだろう。
「工藤、お待たせ」
顔を上げると、そこには神崎と主将がいた。
早々に用件を済ませて帰ろうとする態度が出ていると思う。おまけに愛想もない。
でもこの場所では、本当にこれが精一杯なのだ。
必要最低限のことを告げ、各部活に配った紙を同じように渡す。よろしくお願いしますと頭を下げた僕は、彼らがどんな表情をしているのか見る余裕もなかった。
練習に戻った二人を見送って、剣道場に背を向けたその時。
「久々の部活見学だったのに、ゆっくりしていけばいいじゃないですか」
「芳原先輩が居ないと、見る気もないってことなんじゃないの」
ゆっくりと振り返れば、鈴生りになっていた生徒たちが肩越しに僕を見ていた。見覚えのない彼らは学年カラーから一年だとわかる。
練習を見に行かなくなって随分経つのに、ひとつ下の彼らが僕を知っている。しかも彼らは僕を“芳原誠吾を見るために練習場へ通っている”工藤聡里だと。
誰かにそう吹き込まれたのだろうけれど、噂で広めるほど未だに僕の行動を警戒する生徒がいるということでもある。
練習場に行かなくなったし、誠ちゃんに近づくこともない。
これ以上何をしたら、彼らは僕を放っておいてくれるのか。
頭の中でもやもやしている間も、彼らの口からは勢いよく言葉が飛び出している。
それに反論する気もなく、僕は無言のまま歩き出した。
彼らの気が済むのなら、それでいい。だが、その雑音を拾うかどうかは僕の自由だ。そう思っていたのに、飛び込んできた言葉が僕の足を止めさせた。
「彼女が居るんだから、早く諦めたほうが身のためですよ」
視線を向ければ、視線を合わせた一人がどこか勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「そういえば、さっき二年生の先輩を使って主将を呼び出してましたよね。主将に乗り換えるんですか?」
きっと、このときの僕は呆けた顔をしていたと思う。あまりのバカバカしさに、本気で、何を言われているのかわからなかった。
さっきのシーンは、何をどう見たらそんな発想になるんだろう。
「……君たちが何を期待しているのかは知らないけれど、これだけは言っておく。僕は体育祭の関係で各部活を回っている最中なんだ。剣道部だけに顔を出したわけじゃない。疑うのなら他の部活の主将に訊いてみるといい」
部活に所属していないだろう彼らにそんな伝を持つはずもない。
我ながら意地の悪いことを言っていると思う。でもそれくらいの応酬は許されるだろう。
嫌味だと気づいた彼らが表情を変える。だが何かを言う前に彼らは身体を硬直させた。その視線は僕の後ろに向けられている。
「やっぱりここにいたのか」
立っていたのは和意先輩だった。探したぞというわりに先輩の髪や息に乱れがない。
「おまえの帰りが遅いから、斎賀に探してくるよう言われたんだ。こいつを連れて行きたいんだけれど、構わないかな?」
一年生たちは先ほどまでの勢いを失くし、和意先輩の言葉に無言で頷いた。
行くぞと促されて和意先輩の後を追いながら、僕は自己嫌悪に陥る。
買わなくてもいい喧嘩を自分から買うところだった。買ったところで何一つ得することはないのに。
それに比べて、和意先輩は登場するだけで事態を収束させた。もちろん彼がこのいざこざに無関係で、校内の有名人だということもあると思う。
どこか威圧感があって悠然と立つ姿は、時々僕とひとつしか違わないことを忘れさせる。
育った環境もあるのかもしれないが、僕にはない人を制する力を持っている彼が羨ましい。
「聡里」
無言のまま歩いていた先輩が突然立ち止まる。合わせて足を止めると、問答無用でデコピンをされた。
「痛っ!!」
いい音が証明するように、結構痛い。涙目で叩かれた額を押さえると、和意先輩が目線を合わせてきた。
「つまらない相手に捕まるなって言っただろう。何を言われても流せってな」
「……そうだけど」
分かっていても、あのときは我慢できなかった。
目で訴えると、先輩がふと表情を和らげる。こんなとき「お兄さん」の顔をするのは、彼と知り合って以来変わらない。
余計なことを考えていたから、先輩の言葉を巧く捉えられなかった。聞き返そうとする前に、彼は再び歩き出してしまう。
―――モウスコシ、カンバレ。
「……どういう、意味?」
僕の問いかけは宙に浮いて、消えた。
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