カウントダウンの恋 6
「遅かったな」
誰もいないはずの家で、しかも僕の部屋に人がいる。
扉を閉めた状態でノブに手をかけたまま、ぎこちない動作で振り向けば、そこに誠ちゃんがいる。
金縛り状態で動けなくなっていた僕の体は、誠ちゃんが立ち上がる様子にようやく呪縛から解けた。
慌てて部屋から出ようとノブを持つ手に力を込める。開いたと思った瞬間、後ろから伸びてきた手に邪魔をされた。
背中に感じる、誠ちゃんの気配。
「逃げるな」
「―――どうして……」
「家の前で聡里を待ち伏せしてたら実里に連れ込まれた。……いいかげん、全部説明してもらおうと思ってな」
実里、という音に気をとられて、誠ちゃんの言葉を理解するのに時間がかかった。
「な、何、突然……」
「突然か? おまえが俺を避け出してから十分時間は経った。おまえがうちの部員と揉めてからも一年以上だぞ」
「……人聞きが悪い」
状況を忘れて、思わず顔を顰める。
揉めたといっても僕と同学年の一部が騒いだだけだ。僕の見学を納得しなかった彼らが僕を締め出そうとして、それに気づいた神崎たちが止めに入り、最後は当時の主将たちを巻き込む形で終わった。
彼らが「懲りずにまた来いよ」と言ってくれたから何度か見に行き、結局僕の意思で止めたのだけれど。
「ああ、勝手に騒いだのはうちの部員だな。……これに関しては、おまえが来なくなった理由を勝手に想像して納得した。腹も立つが、原因を作ったのは俺だから仕方ないと諦めた。だが、道場に来ないのも移動教室ですれ違わないのも納得できない」
「そ、それは……そう、たまたま、だよ」
「学年が上がってすぐは廊下で会っていたのに? 俺の姿が見えた途端にわざわざ遠回りするのがか?」
嫌味を言う誠ちゃんなんて珍しい。どこか冷静に首を傾げた僕は、その理由にすぐに思い至った。
誠ちゃんが僕を気にするのも、僕が実里ちゃんの弟だから。
きっと何かの弾みで、実里ちゃんとそんな話になったのだろう。
そう考えると、言い訳を重ねて誤魔化すのも馬鹿らしくなる。
「聡里?」
訝る誠ちゃんの声に、僕は自分の体が震えていることに気づいた。
泣いてるのではなく、怒りでもなく、自嘲の笑みで。
出した声は意識以上に低かった。
「僕が誠ちゃんを避けていたの、全部分かっていたんでしょ? だったらそれでいいじゃない」
「……どういうことだ?」
「誠ちゃんだって煩わしいこと嫌いでしょ? このままでいれば、誠ちゃんは何事もなく部活が続けられる。僕は変な攻撃から逃げられる。一石二鳥……」
「馬鹿なことを言うな!」
初めて聞く誠ちゃんの怒鳴り声に、体が竦む。けれど、ここで負けるわけにもいかないんだ。
そうでなければ、いつまでもこのままの状態だから。
両手に拳を作って掌に爪を食い込ませる。
「馬鹿なこと? どうしてそう思うの? お互いにいい状況になるじゃないか」
「いい状況? 一年にまで絡まれる状況のことか?」
「なんで、それ……っ」
まさか知られているとは思わなかった。
反射的に振り返った僕は、そのまま体を強張らせる。
見たことのないほど強い目に動揺し、一歩退ろうとして扉に背中をぶつけた。
扉が悲鳴を上げるように大きな音を立てる。
「どうして知っているのかって? おまえが一年達に立ち向かっていたのを、ちゃんとこの目で見てる」
「………………」
「対立している姿は何度か見かけたけれど、内容を全部聞けたのは今日が初めてだった」
「……前から、知ってたんだ……?」
それなのに誠ちゃんは止めようとしてくれなかったということ?
自分から誠ちゃんを避けていたくせに、見捨てられた気分になるのはなんでだろう。
「勘違いするなよ。おまえが自分で行動したいタイプだから、飛び出したくても我慢していた。それももう、無理だ」
言い終わると同時に、背後の誠ちゃんが動く。扉を押さえていた手が背中へ回ったかと思うと、そのまま誠ちゃんの方へと押された。目の前の逞しい胸に僕の顔が当たる。
――――え?
顔を上げようとしたら、頭の後ろを押さえられた。身構える間もなく鼻がぶつかってしまい、痛みに涙が滲んでくる。
まるで、この痛みだけが現実のようだった。
けれど、その痛みもすぐに吹き飛んでしまう言葉を聞いた。
「好きだ」
頭が真っ白になるって、こういうことなのだろうか。
後で思い返すとまさしくそんな状態だった。
何を言われたのかとっさに理解できず、抱きしめてくる腕の苦しさも夢のようで。
微かに聞こえてくる心音のテンポが速い。
「聡里? 聞こえてるか? それとも……和意のほうがいいのか?」
「……なんで、和意先輩の名前が出てくるの?」
和意先輩は、先輩だ。
どうして告白されている場面で、彼の名前が出てくるのだろう。
戸惑っていると、苛立った気配が伝わってくる。
「最近のおまえは和意に懐いているだろう? 前は嫌がっていたのに。俺の手助けは拒んでも、和意は受け入れているじゃないか」
咎めるような声に、僕の頭は一瞬で沸騰した。
誠ちゃんは僕を好きだと言う。
それなら実里ちゃんと仲良く歩いていたのはなんだというのか。
考え出したら止まらなくなった。言いたいことがありすぎて、かえって言葉が出なくなる。
聡里、と答えを促すように呼ばれたのを合図に、両手に力を籠めて誠ちゃんの胸を勢いよく押す。
予想していなかったのか、誠ちゃんの体はグラついた。それも一瞬のことで、胸についた両手をそれぞれ掴まれてしまう。名前を呼ばれ落ち着くようにと言われも、僕の勢いは止まらなかった。
「僕のことばかり責めて……自分のことは棚上げ!?」
「……なんのことだ?」
「実里ちゃんのことだよ! 惚けたって無駄なんだから。学校でも噂になるくらい外で仲良くしてるくせにっ」
「仲良くって……幼馴染だろう」
「幼馴染でも腕を組んだりして歩かないし、わざわざ学校の友達に紹介なんかしないよ! 大体噂になるくらいの回数を目撃されてるんだからね」
一度目は僕も幼馴染だからと納得したけれど、二度目以降はさすがに耳を疑い、噂が定着した頃には僕自身も目撃していた。
「実里ちゃんを泣かすようなことしないでよ……っ」
油断すると涙が溢れそうで必死に睨んでいると、誠ちゃんが溜め息をついた。
「……校内で噂されているのは知ってる。害がないと思って放っておいたが、おまえに誤解されるなら別だな」
「―――え……?」
「実里と俺に幼馴染以上の感情はない」
「……嘘」
思わず零れた言葉に、誠ちゃんの眉が跳ね上がる。
「どうしてそう思う?」
「………」
どういえば伝わるのだろうか。
問われた僕は、言葉を探すために口を閉ざした。けれど、言葉よりも見てきた映像が浮かんでくる。
二人が仲良く歩く後姿を遠くから見送ったこと、以前よりも親密に感じる二人の空気、何よりも年上の実里ちゃんを呼び捨てる誠ちゃんの姿。
見かけるたびに切なくて、思いだす度に泣きたくなった日々。
どの映像も、誠ちゃんの眼差しの前で消えていった。
残るのは、誠ちゃんへの苦しい想いだけだ。
「―――……」
聞いても、いいのかな。
―――期待しても、いいのかな。
そう思えた瞬間、目頭が一気に熱くなった。堪えられないとわかっていたから、迷わず俯いて顔を隠す。
誠ちゃんの戸惑う気配が俯いていても感じられる。それでも溢れ出した涙は止まらなかった。零れた涙が列を作り、頬を伝っていくのがわかる。
手を掴まれているせいで拭えないでいると、ふいに両手が自由になった。その代わり頬を誠ちゃんの両手で包まれた。
「………?」
隠すこともできず涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた僕は、思ったより近くにあった誠ちゃんの顔に目を瞑った。
間を置かずに降りてきた温もりは、僕の両目蓋の上に触れて離れてく。ゆっくりと目を開ければすぐ傍にあった誠ちゃんの目と視線が絡まる。
「聡里」
「………うん」
「好きだ」
「…………うん」
僕も、と応える声は震えていた。
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