カウントダウンの恋 3
「おーい、工藤」
放課後、帰ろうと教室を出た僕は、背後から追ってくる声に足を止めた。振り返れば委員長が手を振っている。
「何?」
「いいから、ちょっと付き合ってくれよ」
彼は問答無用で二の腕を掴み、そのままずんずんと歩き出した。慌ててその歩調に合わせるけれど、どうして彼と歩く羽目になっているのかがわからない。
「い、委員長?」
「何?」
「何って、こっちの台詞……っ」
離してくれる気配がないのに焦れて、僕はその場に止まろうとした。けれども、彼の勢いは止まらない。僕の精一杯の抵抗も彼にとっては多少重石が増えたような感覚なのだろう。
同じ年なのにこうも違うなんて。
意識しないようにと努めている感情が浮かび上がりそうになって、僕は眉間に皺を寄せた。
なんだか今日はこんなことばかり考えている気がする。
そんな思いに囚われながら引きずられながら階段を下りていた僕は、ようやく彼の目指す場所を知った。間違いなく、校舎一階の中央階段側にある教室の半分くらいの部屋が目的地だ。
今日の放課後―――つまり、今からそこで行われるのは体育祭の実行委員会だ。高等部とは違い、中等部は体育祭と文化祭が毎年交互に行われる。今年は体育祭の年で、今日の委員会を軸に開催内容が決定されるのだと、今朝のHRで言っていたのを思い出した。その級代表を決めようという話になったとき、なぜか僕の名前が挙がったことも。
運動をまともにできない僕が矢面に立つのは間違っている。言い分は間違っていないと思うのに、みんなは聞いてくれない。
縺れに縺れて今日は委員長がとりあえず代理で出ることになったのだが。
今更だとは思いつつ抵抗すると、呆れたような溜め息が降ってきた。
「工藤、往生際が悪いぞ」
「僕は最初から嫌だって言ってるじゃないか」
「甘いな。民主主義に個人の意見は反映されないんだよ」
「個人の意見があっての民主主義だろ!」
「そして多数の意見が個人を左右する、と。ほら、いいかげん諦めろ」
「できないっ」
押し問答を繰り広げていると、階段下から声がかけられた。
「君たちの声、丸聞こえだよ」
視線を向けると、見覚えのある生徒が呆れた顔でこちらを見ている。確か、生徒会役員だったかな。
生徒会に縁のない僕には、どこかで見たことのある人、位の認識しかない。接点のある斎賀会長や和意先輩が特別なのだ。
途端に姿勢を正した委員長は、ようやく僕から手を離した。しかし安堵する間もなく、彼は先手必勝とばかりに宣言してしまう。
「お騒がせしてすみません。今行きますから」
「だから僕は……」
「残念ながら、昼休みの段階で登録済みなんだ。諦めろ」
「委員長!?」
予測していなかった事態に僕は勢いよく振り返った。そこには飄々とした態度の委員長が立っている。
「たまには恩を返そうな、聡里」
「……何の恩だよ」
「もちろん、諸々のだよ」
唇に浮かぶ笑みは、誰かさんとそっくりだ。
思わず呆然とする僕の肩を叩き、委員長が歩き出す。その背中を、僕は恨みがましく見つめた。
ここでどんなに足掻こうと委員長は頷かないだろうし、生徒会室で待つ他の生徒の恨みも買うことは嬉しくない。
結局、自分の感情ではなく、周囲の反感を突っぱねられない僕の負けだ。
逃亡を諦め、委員長に続いて生徒会室の戸を潜る。
生徒会室には、黒板を背にして座る生徒会役員たち、そして程近い窓際には三年の実行委員たちが並んでいた。無意識に視線を彷徨わせた僕は、予想していた人物の姿に軽く目を伏せる。
誠ちゃんがいる。
彼の、視線を感じる。
空いていた席に着くときも、着いてからも、感覚で感じる。
それが僕の勘違いでないことを、確認する勇気はなかった。震えそうな身体を気合で止め、僕はただ配られたプリントに視線を向ける。
だから辞退したのに、と委員長への恨み言を心の中で呟いてももう遅い。
正直に言えば、委員をやることに異論はない。制限のある僕が、唯一みんなの輪に混じれる方法なのだし。
僕が承諾を渋ったのは、委員会にいるだろう幼馴染と顔を合わせる時間が増えることが恐かったからだ。
運動部部長を務める彼が、体育祭の準備に関わると予想できていたから固辞した。ただ、それだけの理由だけれど、僕にとっては切実な問題で。
意図的に彼と顔を合わせなくなって、ようやくそれに慣れてきたと思ったのに。
タイミングの悪さに聡里は思わず深い息を吐き出す。
「……工藤、気分悪いのか?」
委員長から気遣われた小声で話しかけられ、会議がいつの間にか終わりかけていたことに気づいた。大丈夫、と伝えて、僕は配られた書類に改めて視線を落とす。
書かれているのは、体育祭までの流れと当日までの課題、そして役割分担。
今日の流れは委員長が把握しているだろうから、と聞いていなかったことに不安はない。問題はここに書かれている役割分担だ。間違って体力勝負のところに配置されたら、と不安を抱きつつも、そこまで切羽詰ってもいなかった。
僕の体のことは和意先輩も知っているし、もしかしたら斎賀会長たちも聞いているかもしれない。
それに、誠ちゃんがいる。
そこまで考えて、僕は自分の狡さに唇を噛んだ。
自分から距離を取りながら、こういうときばかり頼ろうとするなんて。
役割分担は生徒会側が大雑把に振り分け、不都合がある生徒は申し出る形になった。基本的に各組から二人ずつ委員が選出されているから、そのうちの一人は運営的な仕事を必ず受け持つことになるらしい。
僕は予測通り、力仕事ではなく役員の手伝いがメインになった。細々とした仕事を頼むことになるっていうことは、雑用係ってことだよね。
会長と和意先輩は司令塔を務めて、ほかの役員は各組の委員を纏めて司令塔との繋がりを保つのが仕事。
「聡里くんには期待しているよ」
にっこり笑いながら会長が渡してきたのは、十数枚のプリント用紙だった。
「ちゃんと宛名が書いてあるからどこまで配ったとか考えなくて済むだろう?」
「……なんですか、これ」
「各部活に対するアンケート用紙だよ。部活限定の協議に参加するかどうかと、参加する場合にやりたいことを書いてもらうんだ。一週間後が締切だから、それまでに提出するよう言っておいて」
渡された用紙には斎賀の言うとおり、部活の名前がすでに記載されている。
「今いる生徒で部活に参加している人に持っていってもらうのはダメなんですか?」
「君が各部活の代表をきちんと知っているのなら、それでもいいよ」
そんなの知っているわけないじゃないかと、口に出せない自分が恨めしい。
「……わかりました。行ってきます」
「よろしく。ああ、部長が不在な時は翌日以降に持って行ってね」
「…………はい」
「そう暗い顔しないの。お詫びに案内人つけるからさ」
「案内人?」
「そう」
首を傾げている僕にひとつ頷くと、会長はある方向に視線を向けた。
嫌な予感がする。
「あの……」
「彼じゃ不満?」
最近の僕が彼を避けていると知っているだろうに、敢えて近づけようとする、その性格が悪いと言わずになんと言う!
「一人で回れるから大丈夫です!」
僕は反射的に踵を返すと、慌しく生徒会室を後にした。
誰に不審に思われても構わない。
今はただ、誠ちゃんから離れることだけでいい。
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