運命への岐路 =8=




 天野が指定した場所―――それは尚貴の泊まるホテルから目と鼻の先にある老舗ホテルだった。フロントの向こう、少し奥まったところにある喫茶部の一角に尚貴は腰を下ろし、天野の代理である人物を待ち構えているところだ。

 煌びやかさを売るあちらのホテルとは違い、こちらは重厚な調度品が品よく配置され、伝統という名の歴史を誇っている感がある。顕著なのは、この喫茶部の配置でも明らかだ。

 向こうが光を取り入れる構造なら、こちらはテーブル周りのスペース重視なのだろう。各テーブルの間に観葉植物を置き、隣接する人物との距離をきちんと保っている。声さえ潜めれば、余程聞き耳を立てない限り会話が漏れる心配はない。

「あいつの好みかそれとも付き合いで使う場所なのか……」

「どちらも、ですね」

 小さな呟きに返された応え。

 顔を上げると、そこには見覚えのある青年が立っていた。

「お待たせをして申し訳ありませんでした。―――どうやら、僕をお覚えのようですね」

「……あんなインパクトのある出会いを忘れられるわけないだろうが」

 彼と初めて出会ったのは、まだ年明け手間もない頃。天野の言付けを破り外に出た蒼を迎えに来た青年の、年齢にそぐわない落ち着きと醸し出す雰囲気が尚貴の目を惹いた。

 自身とさほど身長差のない蒼を軽々と抱き上げ、連れ帰った彼を忘れろというほうが無理というものだ。

 天野に『凌』と呼ばれていた彼もまた蒼と同じ未成年だというが、それを素直に受け止めるのは難しい。容姿がどうと言う前に、彼自身の纏う空気が年齢を誤魔化している気がする。

 一般人と相容れない天野のように、どこか世間離れをした何かを背負っているのだろう。

 もっとも天野と電話一本で繋がるような関係を保っているのだから、とすんなり納得することもできるのだが。

「秋津凌と申します。天野が不在で申し訳ありません。僕でよろしければ代わりにお話を伺わせていただきます」

 とりあえず別の場所に移動しませんか。

 続けられた言葉は提案のようで、その実命令に近い響きを持つ。それに逆らう理由も見当たらなかった尚貴が頷くと、彼は置かれていた伝票を手に出口へと向かった。それを慌てて追いかけると、支払おうとする尚貴を視線で制してくる。受け取る気がないとはっきり意思表示され、尚貴は苦笑を浮かべた。

 年下に奢ってもらうことに抵抗はあるが、これが彼のスタンスだというのなら逆らう必要もない。

 会計を終えた彼に礼を言い、促されるまま足を運んだ先には一台の車があった。ホテルの正面、車寄せに止められたそれは誰もが知る高級車である。

 その脇にはきちんと運転手らしき人物が控えており、二人の姿を見とめると、自然な動作で後部座席の扉を開けた。

「どうぞお乗りください。乗り心地は悪くはないと思いますよ」

 車の横で躊躇する尚貴を尻込みしていると取ったのか、秋津が軽口を叩く。

 正直を言えば、どこかに移動すること自体驚いていた。確かに不特定多数の人間が出入りする場所であっても、先ほどまでいたソファでも話をするには十分なはずだ。それとも何か不都合でもあるのだろうか。

 訝る視線を投げかけ、それを辛うじて押し止めた。彼にどんな事情があろうと、今の尚貴にそれを跳ね除ける権利はない。天野の代理とはいえ、今は彼だけが蒼と尚貴を繋ぐ接点なのだ。

 頷き後部座席へ収まりかけた尚貴は、秋津が助手席に座る気がして背後を振り返った。

「もちろん、隣りに来るんだろうな?」

 自分は客ではないし、むしろお願いする立場に近い。自分だけが後部座席というのはいかがなものか。

 当の本人はというと、尚貴がそのようなことを言うとは思ってもいなかったらしい。口の端に笑みを浮かべ、運転手に対して頷いてみせる。

「では、失礼します」

 秋津が座るのとほぼ同時に扉が閉められ、ぐるっと車を周った運転手が所定の位置につく。車が滑らかな発進してからほどなく、秋津は身体ごと尚貴へ向き直った。

「改めまして、秋津凌と申します。天野、蒼の両名がいつもお世話になっております」

 すっと差し出されたのは一枚の名刺。上質紙のそれには「高宮」の文字がはっきりと書かれている。

「……念のために訊くが、未成年じゃなかったか?」

「未成年ですよ。ちなみに蒼と同い年です」

「いくつだ?」

 端的な質問に、秋津は僅かに驚いた表情を浮かべる。

「ご存じないんですか?」

「存じ上げないも何も、あいつは自分のことを一切話さなかったんだよ。高宮に関しちゃこちらでも調べられる範囲のことだけ。質問すれば煙に巻いてたしな」

 突っ込んで臍を曲げられても困るし、かといって訊きたいことはいくらでもある。解決策は純粋に“質問をしないこと”しかなかった。

 肩を竦める尚貴を見つめ、秋津は苦笑を浮かべた。天野が僕に連絡をしてきた理由がわかりましたよ、と続ける。

「確かに、蒼は言葉不足のようですね。おそらく、どこまで話していいのかを判断しきれなかったと言うことでしょうが……ばかだな」

「ずいぶん親しげな口調だが」

「所謂幼馴染に近い感覚ですね。ずっと側にいたわけでもないけれど、それなりに付き合いは続いていましたから」

「君は高宮に近い存在だと聞いたが……」

「そうですね、本社に入る許可が下りていて、ついでに名刺を渡されるくらいには」

 一介の人間―――しかも未成年がおいそれとこのような対応を取られることはないだろう。社長の息子とまではいかなくとも、中枢によほど近い関係者であることは想像できる。

 感情を読ませない大人びた笑みに、尚貴は静かに溜息を洩らす。つい自分が秋津と同じ年齢の頃を思い出してしまった。羽目を外すことが楽しくて、親に顰め面をさせていたあの頃の自分とは次元が違う。

 それにしても、と尚貴は呆れた口調で話をふる。

「本当に実態の読めない会社だな。未成年の蒼を情報集めに走らせ、君は君で将来の天野の上司だろう?」

「正確に言えば上司兼部下ですね。大学卒業と同時に高宮へ入社することが決まっています。配属先は秘書室ですから天野の部下になりますね。ですが、その前に僕は高宮のある部門を仕切ることも決まっているんです」

 上司兼部下。その不思議な表現は、彼らの関係を一番正確に示しているのだろう。表立った立場が部下と言うのなら、言葉を濁された部門で彼は上司の立場を取るに違いない。

 以前天野が「限られた空間」と称したその場所で、秋津は人頭指揮を取る。それはすでに決まっている事項なのだろうが、そのことに対する彼の気負いが感じられない。

 周囲に決められた未来を受け入れるほど、それは彼にとって違和感のない未来予想図なのだろう。

「それが天野の言う『裏』ってやつか。そこに蒼も所属しているんだろう?」

「正確にいえば所属ではありませんね。高宮は未成年を雇わないと社員規則にもあります」

「だが……」

「蒼が高宮に関係しているのは確かです。そして、雇っていないのも事実なんです。付け加えるならば蒼が高宮に所属することはこの先ありえません」

 肝心なところに触れない話し方が天野を連想させる。間違いなく関係者なのだと知らされているようで、尚貴はあからさまな溜息を落とす。

「天野と蒼、そして君との間になんらかの関係があるのはわかった。それを教えてもらうわけにはいかないのか?」

 未来の天野の上司だという彼は、すなわち今後と言わず『裏』に関して判断を下すだけの力を持つのだろう。だとすれば、天野でさえ完全に明かすことを躊躇う何かさえ、彼自身の判断で話してもらえる可能性がある。

 じっと彼の反応を待つこと数十秒。沈黙を破った彼の口は、待ちわびていた言葉とはまったく異なる内容を発した。

「宮古さん、取引をしませんか」

「取引?」

「貴方の気にされている事柄は、一応高宮のシークレット部分なんです。役職についていても一生知ることのできない、ね。貴方が『裏』を知ってしまったのは不可抗力ですが、首を突っ込まれることに関してはこちらとしても容易に頷くわけにはいかない。それなら貴方を関係者にしてしまえばとりあえず体裁は整います」

 いかがですか、とこちらを見やるその表情は穏やかである。だが、こういった表情が何よりも裏を考えているのだと気づかないほど初心ではない。

 さて、どうしたものか。

 秋津の言葉を噛み砕き解釈をすれば、尚貴自身意識していない何かが高宮にとって有益だと言うことだろう。彼のいうトップ・シークレットを知るだけの取引材料になるだけの素材を尚貴が持っているとはにわかに信じられない。

 だが、ここで曖昧な返事や下手な遠慮をすることは、すなわち蒼への道も遠くなると言うことだ。

 そして例え蒼と再び近づくことができたとしても、近づくことのできない壁を感じ続ける生活が始まる。―――それだけはごめんだ。

 蒼を何の隔たりなく側に置くためには、尚貴が近づけばいい。

「―――わかった。君のいいようにしてくれ」




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