三度目の運命 =6=





「―――ということだ」

 保護者からの許可を取り付けた尚貴は、間に挟まれた未成年に視線を向ける。天野の発言に両手で顔を隠していた彼だったが、今は呆然と尚貴を見つめていた。
 彼の心情を表すなら、寝耳に水、といったところか。
 間を置いて彼の唇が動く。だが、言葉を音にすることなく、閉じられた。
 一を知って十を返す彼らしくない反応に、尚貴はこういう反応もありなのかと目を細める。
 作られた表情や計算された仕草など、尚貴にとってはお馴染みのものだ。尚貴の周りにいる相手のほとんどがこちらを窺いながら向けてくるそれは、すでに何の感傷をももたらさない。
 たった一晩しか過ごしてはいないが、彼が根本的なところですれていないのがわかる。
 自分が遠い昔になくしたものを、彼は未だ持っているのだ。今、尚貴が求めているのはこういった「素」の部分なのだろう。
「そんなに難しく考えなくていい」
 膝の上で組んだ指に力を込めた蒼に、尚貴は手を伸ばした。以前抱き寄せたときには感じる余裕もなかったが、触れた髪の毛は見た目よりも柔らかく、指通りがよい。もしかしたら、そこらの女よりも髪質がいいのではないだろうか。
「蒼」
 尚貴の声に、ぴくりと触れた部分が反応した。ゆっくりと上げられた視線に、尚貴は誤魔化すことなく続ける。
深く考える必要はない。俺が見たいのは、素のままのお前だ
 尚貴が書くのは、人間なら誰もが持つ暗い部分だ。読み手に共感させることができる反面、いつまでも救いがないことが弱点だった。
 尚貴は自分の生み出したキャラに愛着をもっている。だからこそ、彼をもう一歩進めるための何かを作り出したかった。
 そんな矢先、悪友に誘われて行った店「kaion」。未成年の少年少女が春を売るための場所で、尚貴は蒼を見つける。
 射抜くような視線と強者に従順な瞳を器用に使い分ける彼は、尚貴の興味を煽った。―――女との約束を忘れさせ、自分から招いた初めての人間になるほどに。
「―――嫌、って言ったら?」
 まだどこかに逃げ道があるのだと思いたいのだろう。しかし、それを許すほど尚貴は人間ができていない。
「答えを訊くだけ無駄じゃないか?」
 追い詰めるような声音に、蒼が数度瞬きをする。
 この部屋の主は尚貴で、蒼は押しかけの居候に過ぎない。蒼がどこかに閉じこもらない限り、尚貴の視線は彼を追うことができるのだ。
「……じゃあ、何で訊くの」
 当然、蒼はむっとした口調とともに、尚貴を上目遣いで見やる。それを受けて、尚貴は涼しげに返した。
「お前がモデルの人物が話に登場する。それを知ってもらいたかったからさ」



 仕事部屋の中では、不定期にキーボードの音が響いていた。勢いに乗って言葉を書き出しては、確認するという作業の繰り返し。こうして一文が一段となり、やがて章を形成する。
 意識がそれたのをきっかけに画面から目を逸らし、尚貴は脇へ追いやっていた名刺を手に取る。
 「株式会社 高宮」とシンプルな文字の下に、天野の名前が書かれていた。肩書きは秘書室付きとなっており、そのほかには直通と書かれた電話番号があるだけ。今時メールアドレスが書かれていないのは珍しい。
 何の職業だと訊かなかったのは、それだけ余裕がなかったからだろう。蒼を知る人物がこんなにも早く訪れるなんて思ってもいなかったし、―――何よりも、驚いた。まさか蒼が頼りない視線を向ける人物がいることを想像していなかったからだ。
 書斎に来た蒼が見せた表情は、尚貴には引き出せないだろう。あれは天野と話していたから生まれた副産物に過ぎない。
 昼間の出来事を思い出すと同時に、尚貴は思わず眉根を寄せていた。止めた指を再び動かす気にはなれず、尚貴は背もたれに体重をかけて深い息を吐き出した。
『―――わかった』
 尚貴の突拍子もない言葉に、蒼は一言で答えた。
 それは、尚貴の申し出を承諾した証の「Yes」ではない。蒼をモデルにした人物が尚貴の話に登場することを承知したからでもない。
 尚貴が自分の意志を貫くだろうことを、受容れたのだ。
 一方、傍で見ていた天野は一切口を挟まなかった。彼の役割は蒼の所在確認と状況の把握、尚貴の許可だ。尚貴と蒼がどのような生活を繰り広げようと、彼は関与する必要がないし、義務もない。
 自分のすべきことを知っているからこその、無言。
 そして蒼も、彼に頼って判断しようとはしなかった。一人で考え、一人で頷いたのは――――二人の間にある空気がそうさせたのだ、尚貴は思っている。
 自分に関わる決断を下すのは自身しかいないのだと、彼と同じ年代に、同じ判断をする人間は多くはないだろう。
 そう感じるということは、彼がその辺で溢れている人間と違う生き方をしていたのだと知らしめることでもある。
 ふと、彼と初めて交わした場面を思い出した。
 尚貴の興味本位の質問を静かな笑みとともに返したその仕草は、一晩やそこらで身に付くものではない。核心をつくような言葉に怯えるでもなく、ゆっくりと見返すだけの度胸もある。
 それ以前まで尚貴に張り付いていた少女たちがいい比較対照だ。彼女たちが同じ立場に置かれたとき、蒼のように返せるとは思えない。
 だとすれば、彼の反応はあの店で得たものではないということになる。
 彼が置かれた環境は一体どういうものだったのだろう。



   novel   




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送