三度目の運命 =15=



 ―――限られた空間。

 天野の口から発せられたその言葉に、尚貴は皮肉気な笑みを浮かべる。

「選ばれし者ってやつか?」

「そんな大層なもんじゃない。陰でいるためにはそれなりの人選がされる。ただそれだけのことだ」

 天野は肩を竦めることで流したが、実際は楽な環境でもないだろう。

 自分たちの存在は、公にも人伝でも広まっていいものではない。

 社員が知れば、自分たちを監視していると誤解を生む。また、始めは社員同士の噂でも、終いには外部へと飛んでいく可能性がある。ただでさえ他人の情報を管理する仕事なのだから、目立たずに済むほうが効率よく行えるというのは納得できるが。

 もしも全社員が天野のいる部署の存在を知っていれば、つながりのある人間に警戒をされてしまう。そうなってしまえばちょっとした情報も聞き出しにくくなるし、何の対応策も取れなくなる。だからこそ、彼らは陰の存在でいる必要があるのだ。

 現在、同じような位置にいる人間は天野を含めて十人ほど。彼らは集まってきた情報を吟味し、あるいは自身の足でそれを集め歩くことが仕事である。真偽を見極めることが何よりも重要なのだ。

 天野が表向き『秘書室付き』となっているのは、上層部直属という免罪符を持つことで彼がどのような行動をしようと他の社員から奇異な目で見られないようにするため、らしい。

「全員が同じ肩書きなのか?」

「それだと目立つだろう。一ヶ所に固まることの利益もないしな」

「つまり、全社員を満遍なく見渡せる状態にしてあるって事か」

 見張りとまではいかなくとも、何か動きがあった時にはすぐに対処できるように。

 尚貴の言葉が誤っていない証拠に、天野からの否定はない。

「一つの部署に人数が多すぎても不信感を煽るだけだろう? 特に俺のところは人数がそこまで必要なわけじゃない。あそこは人数を抱えているが何をやっているんだ、と言われるのが関の山だ。ヘタにあれこれ推測されるよりは、それぞれの得意分野を生かせる職種につかせて、事あるごとに人事等の名前で呼び出したほうがやりやすい」

 尚貴に会社勤めの経験はないが、噂の存在感が強いことは想像できる。部門間のやり取りといった影に噂というものが入り込んでしまえば、火消ししようと躍起になっても完全に消えることはない。それは、どの社会においても同様だ。

 不用意なたった一言が彼らの行動を規制する危険性。その可能性の上で彼らは仕事をこなし、また、それを踏まえた上での組織が編制されているというのか。

「大勢の思惑が流布する企業の中で、一塊がその中核を担う。それはありうることだろう?」

「それはそうだが……」

「俺たちは個人の集まりではなく、企業を動かすための人間だ。社員として知るべき情報とそうでない情報が分類され、必要でない部分を扱うのが俺たちの役目だ」

 いよいよ核心が近づいてきた。

 僅かな緊張とようやく導き出せる答えに、声音だけでなく、無意識にグラスを握る指先にも力がこもる。

「……その『俺たち』の中に、蒼は含まれるのか?」

 情報を集める、と天野は言った。それならば、蒼があの店にいたのも潜入と考えるべきだろう。これでただのアルバイトという人を馬鹿にした答えが返ってきたら、どうしてくれようか。

 どうやら考えていることが顔に出ていたらしい。天野が片眉を跳ね上げて面白そうにこちらを見ている。その口元に笑みがのせられるのに、尚貴は嫌な予感を覚える。

「未成年は高宮に入れない。それは社員規則にも載っている」

 はっきりとした口調で断言され、尚貴は一瞬言葉を失った。追い詰められた上に切り札を見せられ絶体絶命、といった感覚がある。

 しかし、間を置いて続けられた天野の科白がその呪縛を解いた。

「もっとも、うちの部門はそれに規制されない。される必要がない、というほうが正しいか」

「…………おまえ」

「うん?」

「ほんっとうにムカツク野郎だな。さっきのタメは何だったんだよ!?

 文字通り脱力をしただけに、反動で尚貴の心情は穏やかではない。食って掛からんばかりの勢いに対して天野は笑いを堪えることもしない。

「つい、ね。職業病だと思ってくれてもいいぞ」

 情報を扱う者として、そして他人との話を詰める上で、握る情報は小出しにしなければならない。日々の生活で繰り返す行為を無意識に行っていた、というのが天野の言い分らしい。

「………………で?」

「睨まなくても、きちんと話すよ。

 情報収集は、俺たちの本職だといってもいい。だが、年齢制限が設けられているといった、今回のような事情によっては手には負えないことがある。そんなときに、蒼のような未成年を臨時で雇うことになる」

「ちょっと待てよ。それじゃさっきおまえが言ったことと矛盾するじゃないか」

 噂として流布しないために、少人数で任されている。情報を扱う部署だけに、その人選は慎重に行うはずだ。それを、なぜ高校生の蒼が抜擢されるのか。

「別に矛盾はしていないさ。さっき言っただろう、『限られた空間』だと。その空間に出入りするのは上層部に選ばれた者のみ。あるいは、高宮に対し、それなりの働きを返さなくてはならない義務を負う者たちだけだ」

「……義務?」

「ああ。そして義務を負うものは拒む権利を持たない。いや、拒む術を知らないというべきかな」

 義務としてその任務を遂行する者に否という言葉は浮かばない。

 彼らは高宮の益になることを喜び、高宮の不利益になることを徹底的に排除する。そんな絶対君主的な支配が存在するのだと、天野の言葉から読み取ることができる。

 義務と評したその中味を続けないところから、尚貴に告げる気がないのだろう。それを悟り、尚貴は違う疑問を口にする。

「おまえの口調からすると、蒼はその『義務』を負うものだということだな。おまえはどちらに含まれるんだ?」

「……どちらかといえば前者だな」

 現在の仕事についたのはそれが天野の義務だったからだ。今となっては過去のことだが、いつのまにか決められていた未来を自らの意思で受け入れるまでに時間がかかったのも事実だ。

 時代錯誤的な話だと、いつもの尚貴なら笑い飛ばしていただろう。何を馬鹿な話を、と。

 だが、天野を取り巻く環境を聞き、彼本人を目前にして軽く流すような真似はできない。彼の取り巻く空気がそれを裏付けているような気がしているからだ。

「尚貴?」

「前に思ったんだよ。おまえとあいつの纏う空気が似ているって。それは、おまえ等が同じような環境に身を置いているからなのか」

 人を惹きつけるくせに、造られた壁は厚い。

 淡々と物事を進め、必要最低限のもの以外には手を伸ばさない。彼らはときには周りをねじ伏せ、切り捨ててでも自身の柱を守ろうとするのだろう。決められたことをこなし、しかも自力で切り抜けるだけの知能と体力を兼ね備える人間。世間の荒波に辛うじて揉まれているその辺の人間では到底想像もできないような育ち方をしているに違いない。

 連鎖的に、一度だけ顔を合わせた青年の姿が脳裏に浮かんだ。

「あいつ……蒼を連れて行ったヤツもな」

 年齢に反してスーツを着慣れた彼もまた、天野と近い人間だろう。隠そうとしていなかったこともあるのだろうが、その身体から発せられる威圧感は比較できないほど強かった。系統で分類すれば、天野と同じ括りになるはずだ。

 ところが、

「あいつと似ているといわれても……」

 返ってきたのは困惑という感情を露わにした声だった。

「……おまえの部下だろう?」

「部下というよりも、どちらかといえば上司というべきだろうな。あいつ……凌は俺よりも高宮の中核に近い」

「はぁ!? だって年下だろうが」

「うちに関しては上下を年齢で決めるわけじゃない。ましてや凌は高宮のために育った男だ。今の時点であいつに肩書きは存在しないが、そのうち抜かされることになる」

 それが決定事項であると、あっさり告げる天野の表情に含みはない。それは、彼が凌という名の青年を受け入れているからだろう。詳しい事情が語られないまでも、天野と彼との間に何らかの柵があるに違いない。

 ―――蒼との間に何かがあるように。

 今までの話から、蒼に対して天野が何らかの指示を出したというのは想像に難くない。しかし、それがどのような関係によるものなのか、未だ天野の口から語られないままだ。

 一つ深い呼吸をし、僅かな緊張を身体から追い出す。

「そろそろ、いいだろう? おまえ等の関係を教えてくれないか?」

「関係、ね。あんたが気にするのは、俺と蒼に何らかの関係があると不都合があるのか?」

 向けられる視線が僅かな苦笑を帯びている。

 それは暗に「おまえの気持ちを知っているぞ」と言われているようで少し居心地が悪い。だからといって、これで怯んでいては何も進まないのだ。

「不都合があろうとなかろうと、関係ないな。こちらの出方が変わるだけだ」

 そう、天野が何を言おうと尚貴の決意は揺るがない。

 意志を表すように、真っ向から視線をぶつけた。こちらを探るようなそれに流されるようなこともせず、自分の感情を空気で伝える。

 無言の状態が長引くかと思っていた尚貴にすれば、それはあっけないほど簡単に幕引きがなされた。

「―――蒼から情報を引き出してみるといい」

 それが天野からの許可だということに気づくまでに少しの時間を要した。思わずまじまじと見つめてしまった尚貴に、彼は苦笑をしながらも容赦ない一言を付け加える。

「ただし、あいつが嫌がった時点でこちらも動く。……忘れるなよ」






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