三度目の運命 =13=
詫びを遮られ、さらに予想外の言葉をかけられた天野が無言で抗議の視線を向けてきた。人が真剣に話そうとしているのに、と。
だが、尚貴には尚貴の言い分があるのだ。
「見かけに似合いすぎることをするな。その顔と口調で『さん』付けされた途端に悪寒が走るんだよ」
いいから名前で呼べ、と続けるのが我ながら情けない。
普段、倍以上歳をとった人間を相手に働いていることは予測できるが、身分不相応な対応を受け流すほど尚貴の神経は図太くない。
我ながら情けない理由で空気を壊したとは思う。だが、彼相手に気取っても無意味だ。
「俺が『許可』するのは滅多にないぞ。光栄に思えよ」
「はいはい」
空気がぶち壊されたことでその気がなくなったのだろう。あっさりと流すその姿に、尚貴は不敵な笑みを浮かべた。
「最初っからそうしてりゃいいんだよ」
意図すれば視線だけで相手を追い詰めることのできる人間であることを、この男は自覚していないのではないか。
「先にけじめだけはつけようかと思ったんだが。酒が入れば全て流されるのは必然だしな」
「そんなものか?」
「狸爺を相手にしてりゃ嫌でも思い知る」
否、自覚しているからこそ、あれだけ周りを圧倒しておきながら一瞬でがらりと雰囲気を変えられたのだろう。いずれにせよ尚貴にとっては迷惑なものでしかない。
しれっと答えて、天野は再び座布団の上に戻った。仕切り直しをするその態度は、直前のやり取りがなかったかのように自然である。
ビールでいいか、と瓶を傾けられ、目の前に置いてあったグラスを手に取る。それで金の液体を受けながら尚貴が部屋を見回していると、天野が喉を鳴らして笑った。視線を向ければ、彼は呆れた表情を浮かべる。
「そんなに珍しいもんでもないだろ?」
「似たような場所は知ってるが、雰囲気も造りも違うからな。しかもここみたいに一見お断りという店に通されたことは少ないんだよ」
編集部の人間と飲みを兼ねた打ち合わせではこんな格式ばった場所は選ばれない。せいぜい祖父や父親に連れられて訪れるくらいだ。
「そういうおまえは慣れた口調だな」
もはや天野は世間一般の「サラリーマン」という枠組みに入らない。それどころか含めること自体、他の人間に対する嫌味のような気がしてきた。実際、この男はそのような立場にいるのだろう。ただ、それを尚貴に対して明らかにしていないだけで。
「俺は、あんたに渡した名刺どおり、『高宮』で働く人間だよ」
尚貴の含んだ言葉が届いたのだろう。天野が笑いを含んだ声で返してくる。
決められた言葉を繰り返すその行為は、どこかこの場面を面白がっているような節がある。
のらりくらりと言葉遊びをするのはもう十分なのだ。
「なら、あいつは?」
「蒼は未成年だ。しかもあの細さでうちのような会社に関係してると思うか?」
誰だって年齢にも体格にも不合格だと思うだろう。引き締まった体格を持つ人間こそが警護をするに相応しい。だが、尚貴が言いたいのは警護に限ったことではないのだ。
「おまえと同じ職種だというのならな」
「……どういうことだ」
「そもそも、俺はあいつがあんな場所にいること自体が不思議だったんだよ。あんな頭の固いやつが他人に身売りするような真似をするとは思えないね」
「あんたの思い込みかもしれないぞ」
「自分の知り合いだというのに、ずいぶん卑下した物言いをするんだな」
天野の言葉は到底事実とは思えない。その根拠はかつて天野自身が示したものだ。
「そんなやつだと思うのなら、なぜおまえがわざわざ迎えに来た? 叩くほど心配していたからだろう?」
それに、と尚貴は思う。
同じ稼ぐにしても、彼だったらもう少し利口なやり方で働き口を探し出すだろう。蒼があそこで働いていたこと自体が不自然なのだ。
尚貴の言葉に天野の眉が顰められる。だが、言葉を綴る前に尚貴が口を開いた。
「俺が蒼を拾ったとき、あいつは男たちに追われていた。それは相手にとって不利なことをあいつが見聞きしたからじゃないのか?」
引き止めたのは尚貴のほうだが、ぶつかった相手を盾にする必要があるほど蒼は追い込まれていた。男たちが近づいてきた瞬間、すっぽりと腕に収まるその細い身体に引き寄せられたのを今でも覚えている。
「あんたは、あの店に行ったことがあるんだよな? なら、どれだけ特殊な場所かを知っているはずだ。蒼があの店で客をとらされそうになって逃げ出したとは考えないのか?」
尚貴は首を横に振り、天野の言葉をあっさりと否定してみせる。
「ほかの奴ならありうるだろうな」
「……あんたの言い方だと、蒼にはありえないと?」
実際、初めて顔を合わせたときの蒼は男性客に口説かれていたところだった。それをあしらうのはもちろん、目撃者である尚貴に対する口調も堂にいったものである。その彼が、雇用側から強制をされたからといって逃げ出すような人間には見えない。
「いまさら、だからな。あの店にとって不都合な事柄――追いかけてまで証拠隠滅を図ろうとするようなことを知ったと考えるべきだな」
尚貴が引っかかっていたのは、あのときの蒼が少しも怯えたそぶりを見せなかったことだ。捕まることに警戒をしていたが、追われることに関しては余裕をもっていたような気がする。彼は追われることを充分予測していたに違いない。
「随分断定的だが、その根拠はどこにある?」
根拠ねえ、と呟いた尚貴は言葉を探して背凭れに寄りかかる。
「そうだな……勘、ってのはだめか?」
さすがに天野が呆れた表情を作った。それはそうだろう。もしかしたら天野にとっての秘密に繋がるのかもしれないのだから。
「あれだけ蒼のことを疑っておいてそれか?」
「別に蒼を疑ったわけじゃないだろう。あいつが逃げ出してきたのが不審だといっているだけで。その理由を推測しておまえに聞かせてるだけじゃないか」
言ってから、尚貴はあることに思い至った。目の前にある不機嫌な相手に向けて質問を続ける。
「ああ、そういえばもうひとつあるな。おまえ、俺のマンションをどうやって知った?」
「……ずいぶんと話が飛んだな」
「そうか? 俺としては繋がってるぜ。さっきおまえの考えを俺は否定した理由がおまえにあるんだよ」
「その口調だと、蒼が知らせてきたとは思っていないんだな」
自分と蒼は個人的な連絡を取り合う仲だと彼が繋がりを強調したところで、今更この軸は崩せない。
「ああ。思わないね」
あっさりと否定をした尚貴は、怪訝そうな表情の相手に苦笑を浮かべてみせた。
「あいつはなんせ、家主に遠慮をしてこのくそ寒い中ヒーターもつけずに夜を過ごした挙句風邪を引く大ばか者だからな。そんな性格の持ち主が電話を勝手に使えると思うか?」
尚貴が仕事部屋に籠もっている間に食事を作ったくせに、自分のために部屋のものを使おうとはしなかった。考えてみれば他にも当てはまることがいくつかある。自分のものと認識しない限り、自分のためだけに使用するという考えがないのだろう。
人のものを我が物顔で使う人間よりはずっと好ましいが、それで体調を崩すのもどうかと思うが。
「蒼が勝手に電話を使ったという線はありえない。俺の気づかない間に外出した、というのもないだろうな。第一、おまえが顔を出したのは蒼を連れてきた次の日だ」
起きて朝食兼昼食をとっているときに天野がやってきたのだ。いくら駅とそう離れていないとはいえ、蒼が外出して戻ってくるには時間が足りない。ましてや、仕事のある天野と連絡をとるには不自然な時間帯だ。
「お前が何らかの方法で蒼の位置を知り、迎えに来た。そう考えるのが自然なんじゃないのか?」
「何らかの方法?」
「そう。小説だと離れた相手を見つけ出すのは発信機と追跡。あとは超能力なんてのもあるか」
天野の属する『高宮』という会社は本職を警備保障とするが、そのシステムをも扱うと蒼が言っていた。今や携帯電話で持ち主の居場所がわかる時代なのだ。更に小型の、目に付いても違和感なく居所を知らせるシステムを開発していても不思議ではない。
天野絡みであの店にいたのだとすれば、当然不測の事態を想定した準備がそれなりにとられていただろう。
「ずいぶん夢見がちな発言だ」
「それが職業なんでね。でも発信機についてはいい線だと思ってるんだが?」
もしも追跡がされていたのなら、蒼はあそこまで逃げ惑わなくても済んだはずだ。そして、尚貴とぶつかることもなかっただろう。あの出会いがなければ天野とこうして机を挟むこともなかったのだから、不思議な感じがする。
軽く返答を促しながらも、尚貴の心中は穏やかではない。
巧くいけば、これまで気になっていたことすべてが明らかになる。しかし失敗すれば、それどころかせっかくの蒼への道筋が閉ざされてしまう。
尚貴にできるのは、天野の反応を待つことだけなのだ。
蒼の情報を得るためにも、そして、彼を手に入れるためにも、天野の浮かべる微かな変化を見逃すわけには行かない。
そんな強迫観念に駆られた尚貴は、知らず握り締めた掌に爪を立てていた。肉に刺さる痛みを刺激に、毅然とした態度をとり続ける。
沈黙が落ちてどれくらい立ったのだろう。
天野の出方を待つ尚貴に対し、彼は静かに溜息をついた。ゆっくりと二人の均衡は崩れ落ち始める。
意図が汲みきれず眉を潜めた尚貴に対する言葉はない。一端俯いて深い深い溜息をついたその表情は、微かに苦笑を帯びていた。
「……あんたは、何を知りたいんだ?」
間を置いた応えに、尚貴は微かに瞠目した。解釈の仕方にとっては尚貴の望む回答を与える、ともとれる。そして尚貴の答えによっては、全てが閉ざされることになるだろうことも。
与えられたたった一度きりのチャンスを無駄にはできない。
乾いた唇を舌で潤し、尚貴はゆっくりと口を開いた。
「―――――蒼に関する情報を」
天野が片眉を跳ね上げ、興味深そうな反応を返すのが見えたが、それに構う余裕はない。
「あいつはあんたにとって通りすがりの相手だろう?」
天野の問いは尚貴が自身に対して何度も問い掛けたものだった。答えが出そうになるたびに軌道修正を試み、しかし結局は同じ場所に行き着くことになる。
「それで済むなら話は楽だったんだがな。残念ながら俺にとってあいつは単なる『通りすがり』ではないらしい」
そう、そんな単純な関係だったらここまで係わり合いになろうとは思わなかっただろう。
怪しげな店で出会い、興味本位で家に引き取り、気づけば誰よりも印象の強い人間となった。
「では、なんだと?」
答えを導き出そうとする天野に、尚貴は意思を込めた視線で対抗する。
それを言うべき相手は天野ではない。
尚貴の言葉を聞く権利があるのは一人だけだ。
「……まいったな」
小さく呟いた天野は顔を俯けさせると額に手をやり喉で低く笑った。今まで纏っていた空気が霧散し、いい意味で力の抜けた天野がそこにいる。
向けられるそれは、僅かに苦い笑みを帯びていた。
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