三度目の運命 =11=





 書く前に浮かんだ話の筋はあくまでも書き手と編集者の都合で作られたもの。その時点で完全な世界を確立することはできない、と、少なくとも尚貴はそう思っている。骨が真っ直ぐに育たないように、話には肉がつき、その重さに脇へとそれていく。

 この日、尚貴は外から差し込む昼の光に目を覚ました。長時間に亘る同じ姿勢と机に突っ伏して寝ていたせいで、体中の関節が悲鳴を挙げている。

 仕事に夢中になっていただけあって、日付の感覚がまったくない。寝食を忘れた生活は尚貴に疲れを感じさせず、それどころか作り上げる世界へと没頭させた。今の尚貴に必要なのは、画面に向かう集中力だけである。

 さすがに起床時間が一日を越えた辺りで目の周りをマッサージする回数は増え、終いには力尽きて眠りに落ちてしまったが。

 時計を見ると、時刻はすでに夕方を示していた。気分を切り替えるにはいいタイミングだ。

「…………とりあえず顔でも洗うか」

 音にすることで自分自身に動くよう指示をする。のろのろと立ち上がる様は、血の繋がる家族でさえ何年も見ていない姿だ。外見だけで寄ってきた彼女たちにとっては想像すらしできないだろう。

 片鱗を見たのは蒼だけだな、と尚貴は顔を洗いながらぼんやりと思う。

 話は思った以上にスムーズに進んだ。話の展開を含む粗筋もある程度まとまったし、話の内容もテンポ良く進んでいるとは思う。今回の主人公は自分を投影しているせいか、いつもよりも正確が掴みやすい。

 何よりも、燻ってた感情を見つめた瞬間、滞っていた小説の糸口が見つかった。何度書いても巧く動かなかった登場人物が、尚貴の手を離れ好き勝手に話を進めていく。

 難航しているのは、主人公を変えた相方にある。

 主人公を「普通の」人間にした人物が、何を考えて彼の側にいたのか。何を思い、そして姿を消したのか。出会いは偶然でも、文章には描かれない時間も彼らはともに生活をしていたのだ。感情の変化には何らかのきっかけがあったはずである。

 考えるうちに蒼に繋がってしまうのは、もう慣れた。想像して、その度挫折をし、尚貴が彼のことを知らないという事実を認識し直す。小説を書き出して以来、その繰り返しだ。

 だからといって、他のキャラクターにしようという考えはまったく存在しない。彼と出会ったからこそ、この話が書けると思ったのだから。

 そして書けば書くほど蒼の感情が気になってしまう。

 蒼が姿を消す前に見せたあの視線が、今この瞬間でも尚貴を捕らえ続けている。真っ直ぐに、でもどこか怯えが隠れた瞳は一番彼の感情を表していたような気がするのだ。

 ―――俺の一人よがりじゃないだろう?

 顔を洗い、鏡に映る自分の姿に尚貴は苦笑をする。不健康な生活をしていたせいもあり、普段の顔は姿を消していた。替わりに据わった目の下に隈はあるし、扱けた頬には不精髭は生えている。

 こんな姿は見せられないな。

 目の前の分身をじっと見据えて思う。誰かの目に留まることを前提で気にしている自分に可笑しくなった。

 

 

 

 部屋を出たついでと称してキッチンへ。サーバーでコーヒーを淹れる間に留守電のチェックをしようとリビングへと向かう。案の定メッセージを示すランプが点滅をしていた。再生ボタンを押しながら、尚貴は溜息をつく。

「……消音にしておいて正解だな」

 以前はベル音設定にしてあったのだが、文章の組立て途中で邪魔をされて以来作業中は音を一切鳴らさないようにしている。

 あの時は世間に本が出たばかりの左右の顔色を窺いながらの作業が続いていた。本当に締め切りに追われていて、ようやく終わりが見えた頃に邪魔をされたのである。当然浮かんでいた言葉は全て吹き飛び、頭は真っ白。おかげで担当からネチネチと嫌味を言われる嵌めに陥ったのだ。

 しかもその電話がキャッチセールスだったのだから、尚貴の怒りは半端ではない。

 それ以来、固定電話は留守電機能のみを重視して使用していた。

 溜まっていた伝言が再生される。最初は担当から。そして、無言が二件、キャッチと実家からが一件ずつ。

 大した物はないな。キッチンへと取って返したその背を、聞き覚えのある声が追ってきた。思わず足を止めた尚貴は、電話機を振り返る。

『今から言う番号まで電話をくれ。都合のいいときで構わない。そちらも取り込んでいそうだからな。番号は……』

 続けられた番号をメモ用紙に慌てて書き留める。

 最初から最後まで名乗らない傍若無人な伝言の内容を頭の中で繰り返し、尚貴はメモを手に再びリビングへと向かった。

 サイドテーブルの上に放って置いた財布を手にとり、そこから一枚の名刺を取り出す。書かれた名前の上には会社名と秘書室付という肩書きがあり、他には直通の電話番号だけしか記載されていない。市外局番で始まらない番号は、どう考えても携帯電話のもので。

 天野はあの時、急ぎがあれば連絡をといってこの名刺を置いていった。携帯電話を持っているのなら、名刺と一緒に残していってもいいはずだ。「今から言う番号」とわざわざ残したからには、何か理由があるのだろうか。

「―――……あいつの行動は本当にわからんな」

 かといって、このまま無視するには誘惑力が強い。否、むしろこれは向こうから与えられたチャンスだ。

 彼は尚貴の知らない情報をたくさん握っている。その有力な情報を得るためにも、勝負に出る必要がある。

 僅かに緊張した躰から力を逃がすように深呼吸し、尚貴は受話器を取り上げた。






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