待ち人

 

 

 

 彼女が何者であろうと、天野から言われない限りは彼の側を離れる気はない。

 之路は視線を逸らすこともせず、しっかりと相手の目を捉えて宣言した。それが偽らざる本音である。

 重たい沈黙が二人の間に舞い降りる。

 何かを考えるかのように俯いた彼女は、次の瞬間之路を正面から捕らえた。

「そこまで彼に惹かれてるの?」

「…………はい」

 躊躇った後に、之路は小さく頷く。すると彼女は溜息をつき、ソファーの背凭れへと体重をかけた。その口の端には苦笑めいたものが浮かんでいる。

「あの……」

「貴方の言葉はちゃんと聞いたから、それで判断させてもらうつもりよ。ああ、悪いようにはしないから安心して。それに―――」

 彼女の視線が之路から店内へと移される。その先には心配という文字を顔に貼り付けた蒼がこちらを窺っていた。

「これ以上彼を待たすのも面倒だわ。……後々煩いし」

 最後に付け加えられた言葉はどういう意味なのだろうか。

 小首を傾げる之路をよそに、彼女は手をあげて蒼へと合図をした。程なくやってきた彼はお盆を手にしており、その上にはグラスがひとつだけある。それを之路の前に置いた彼は、彼女のほうへと体ごと向き直った。

「彼を苛めましたね?」

「人聞きの悪いことを言わないでよ。彼とは話をしただけです」

 あれを話し合いというのだろうか。

 ねぇ、と合槌を求められた之路は咄嗟に反応できなかった。それを見咎めた蒼が彼女に何か言おうと口を開く。だが、それより先に彼女のクレームのほうが早かった。

「なんで彼にはお酒が出るの?」

 見れば、彼女の前に置かれているグラスにはアイスティらしきものが入っている。それは彼女自身が選択したものではないのだろうか。

 不満げに見上げられた蒼は、しれっとした顔で受け流す。

「貴女の保護者が恐いですからね。文句は彼に言ってください」

「見なかったことにすればいいじゃない」

「僕が作るってわかってて、そんなことを言うんですか?」

「だったら他の人に作らせればいいわ」

「それこそ、凌に怒られます」

「……蒼」

「そんな目で訴えてもダメです」

 どんなに言葉を尽くしても、蒼が折れないと悟ったらしい。彼女は深々と溜息をついた。

「私よりも凌の命令が上だなんて納得行かないわ」

 命令、という言葉に之路は目を瞠った。

 社会人という立場の蒼に対し、命令に従わせることのできる立場に彼女はあるというのだろうか。

 ますます彼らの関係がわからなくなってきた。

 未だに続く言葉の応酬を遮ってみようか。

 そんな誘惑に負けかけたとその時、影がテーブルの上を覆った。

「―――――ここにいたのか」

 照明の加減で顔が見えない。だが、その声の主は之路が待ち望む人物だった。

「天野、さん……」

 頼りなく揺れる声音に気づいた天野は之路の頭を一度だけ撫で、彼女へと視線を向ける。

「勝手に抜け出して、彼と何の話をしていたんですか」

「世間話よ」

「初対面の彼と世間話をするために、わざわざここまで?」

「そうよ?」

「貴方がいなくなったという情報を得てから、本家がどれだけドタバタしたと思っていますか。しかもご丁寧に発信機まで置いていったそうですね」

「気兼ねなく彼と話をしたかったんですもの。場所がわかって居たら邪魔されるでしょう?」

 悪びれる素振りもなく、あっさりと肩を竦めてやり過ごす仕草に天野は深い溜息をついた。

「―――おまえの育て方が原因だな、凌」

「ご忠告痛み入るね」

 すんなりと受け答えをする第三者の声に、之路はそちらを振り返った。いつの間に来ていたのか、スーツに身を包んだ長身の男が蒼の隣りに立っている。

「遅かったじゃない」

「どこかの誰かさんがご丁寧に足止めを食らわせてくれたおかげでね」

「別に警備システムを壊したわけじゃないもの。抜け出せるような状況が作られているというのは問題じゃない?」

「それについてはよく話し合っておく。おまえが簡単に向け出せないように改良すべき点も含めてな。―――気は済んだのか?」

「ほどほどにね」

 ちらりと彼女の視線が向けられ、之路は思わず身体を後ろに退く。それに気づいた凌と呼ばれた青年が小さく笑った。

「……失礼しちゃうわ」

「恐がらせるようなことをしたんだろう? 彼女がもし無理難題を押し付けていたら、遠慮なく天野に言ってくれて構わないよ」

 突然話し掛けられて、しかもその内容に之路は慌てた。

「いえ、そんなことは……」

 ないとも言えないのだが、本人を前にして口にする度胸はない。首を横に振って否定した之路を恨みがましい視線で見た彼女は、溜息と共に立ち上がった。

「凌、帰るわ。―――今日は有意義な話をありがとう」

 それ以上の言葉を先手で封じ、にこりと笑った彼女は背中を見せた。蒼が無言で見送りに立ったその傍らで、凌が内ポケットから取り出した名刺を一枚之路へと手渡す。

「今日はあいつが面倒をかけたね。また何かあったらその番号までかけてくれ。もちろん、天野に関する相談ごとでも構わないよ」

「一言余分だぞ」

「相談相手が多いに越したことはないだろう? 機会を改めて埋め合わせをするよ」

 それじゃまた。

 之路に笑いかけると、彼もまた出口へと足を向けた。迷いのない足取りが、この店を熟知している人物だということを教える。

 結局彼女からはっきりとした返答をもらえなかったのだが、「悪いようにしない」という言葉を信じていいのだろうか。

 いや、それ以前にまず確認したいことがある。

「……天野さん」

「ん?」

「あの人、誰だったの?」

「相手が誰かもわからずにずっと話していたのか?」

「名前を聞くタイミングがなかったんだよ。蒼さんの名前を知ってるとか、天野さんの仕事関係者だってのは匂わされたけど……本当に関係者なの?」

「……確かに仕事関係者だな」

 その一瞬の溜めはなんだろう。不思議に思って顔を上げるのと、彼の指が之路の前髪を攫うのはほぼ同時だった。

「彼女はうちの会長の孫娘で、高宮亜湊さん。うちの会社を将来継ぐかもしれない人物だな。ついでに言えば、おまえに名刺を渡してきたのが秋津凌といって、彼女のお守り役だ。ああ、彼女は之路のひとつ上だったかな」

「いっこ上!?

「そう見えないか? 彼女も特殊な育ちで、生まれた頃から大人に囲まれて生活をしているからな。これは凌の話だが、同年代の中に混じっても浮きやすいらしい。滅多に表には出てこないんだが……何の話をしたんだ?」

「ん? ……まぁ、いろいろと」

 問う視線に肩を竦めることで応え、之路は未だ立ったままの天野の手を引き座るよう促した。甘えるように捉えたままの大きな手に頬を寄せると、逞しい指が之路の滑らかな肌を擦る。

 自分の存在が天野の仕事に影響すると言われたと知ったら、彼はどんな表情をするのだろう。

 彼がそれを認識しつつ之路を傍に置いているのかは定かではない。だが、何となく天野はそれを承知しているような気もする。

 口に出して確認をするのは簡単だ。けれどもそれを音にすることは躊躇われて、之路はただ瞳を閉じる。すると頭上で笑う気配がした。

「……誘ってるのか?」

 言葉と共に、唇を指の腹で撫でられる。からかうような声音に、之路は目を瞑ったまま小さな笑みを浮かべた。

「天野さんの時間をくれるならいいよ」

 今だけでなく、これから先もずっと―――。

 天野が之路の言葉をどう捉えたのかはわからない。答えの代わりに熱を与えられ、之路はそれを甘受する。

 触れられる距離に居ることを幸せに感じ、そう感じる自分を素直に嬉しいと思う。

 実際にはどうなるのかわからないけれど、許される限りの時間を之路に与えて欲しい。

 言葉にならない思いを篭めて、之路はそっと彼に縋った。

 




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