待ち人

 

 

 

 ―――貴方次第で、彼の仕事に支障が出るの。

 静かに発せられた言葉に、之路の思考は完全に止まった。

 今、彼女は何を言ったのだろう。

 彼女の口から告げられたことが、何度も頭の中で繰り返される。

「俺、が……天野さん、の……?」

 心臓を鷲掴みにされたような痛みに眉を顰め、救いを求めるように目前の女性を見つめる。だが、彼女は之路にとって救いの女神ではなかった。

「そうよ」

 彼女は至極簡潔に断言する。

「それは、俺が未成年だから……?」

「年齢は、関係ないわ。初めて知ったときは驚いたけれどね」

「……初めてって……」

 一体いつから彼女は天野との関係を知っているのだろうか。

 動揺を露わにする之路を見つめ、ややあって彼女は溜息を落とした。

「…………?」

「天野は贔屓目抜きにしてもいい男だと思うわ。見た目に惹かれる女性も多いはずだし、引く手数多、選びたい放題のはずだしね。それなのに、彼は初めて特定の人間を―――貴方を傍においた。……正直、驚いたわ」

 男で、しかもまだ高校生の子供を。

 社会人としてそれなりの身分を与えられた男が、同性をパートナーとして選択する。それはまだ偏見に満ちた社会を生き抜く中で、余分な負荷を背負ったことになる。

 彼がそれに押しつぶされることはないだろうとは思う。だが、万が一ということもあるのだ。

「天野にそうさせる理由を、貴方は知っている?」

「……それは、俺に聞くことではないと思います」

 明確な回答を避けたのは、之路が何を言おうと彼女には響かないと判断したからだ。

 彼女に言われるまでもなく、之路と天野の間には弊害が多々ある。

 年齢差も、性別もその一部だろう。

 しかし、それが彼との間で話題になったことは一度もない。それは、自分たちがそれらの問題に目を背けていたからではない。話題にする必要がないほど、彼との時間は之路にとって当たり前のものになっているからだ。

 彼の傍に居ること―――彼が傍に居ること。

 いつの間にかそれが当たり前の日常となっている。

 言葉にならない想いを胸に、之路は唇を噛む。

「そう……それなら、質問を変えましょうか。貴方はどれだけの覚悟で彼の傍にいるの?」

「覚悟……?」

 言葉の通りよ。そう言い切った彼女の視線が、之路を冷たく見据える。

「彼は貴方に対して本気のように見えるわ。でも、貴方はどうなのかしら?」

「俺は……っ」

「彼が自分のマンションへと誰かを招いたのは初めてよ。カードキーも渡されているのよね? もっとも、貴方はあまり使っていないようだけれど」

 問いに見せかけた言葉は、間違いなく之路が言い逃れできないように細工されている。

 彼女の言葉通り、之路は彼の家の鍵を預かっている。そして彼女の言うように、之路が鍵を使ってあの家に入ったのは数えるほどだ。

 だが、それがどう関係あるというのか。

 之路の問う視線に、彼女は平淡な声で応えた。

「貴方が勝手に天野の家に入ったのは、彼の出張時くらいでしょ。待ち合わせはここ、マンションへ行くのも必ず合流してから。部屋で彼を迎える、なんてことはしていないみたいね」

「どうして、それを……」

 暗に天野に関する之路の行動が全て筒抜けだと示唆され、之路の背筋は凍りつく。プライバシーの侵害という言葉以前に、そこまで彼を見張る彼女の行為が恐い。

 顔を強張らせた之路に、彼女は飄々と告げる。

「言ったでしょ。私は知る必要があるの。……合鍵を持っているのに自分から訪れないのは、それほどの相手ではないということ?」

「…………違う」

 彼と重ねた時間は短くても、之路の中で彼の存在は日々増している。それは会えない時間でも変わらない。否、会えないからこそ、彼への想いが募る。

 彼の部屋で待てば、彼の顔を見れる回数は増えるだろう。でも、それでは彼の時間を邪魔してしまうことになる。

 之路が顔を出せば、彼は必ず気を使う。疲れた顔をしていても、之路が居れば彼は大人としての態度を崩さないことは想像に難くない。

 それに之路が部屋で待っていれば、彼はきっと之路のことを気遣い続けるだろう。待たせたこと、遅くなったことを気にして、慌てたように帰ってきてしまうに違いない。

 当たり前だと彼は笑うかもしれないが、そうさせる事を之路は良しとできない。彼の生活リズムを崩すことだけは避けたいのだ。

 だからこそ、之路は自らあの部屋の扉を開けようとは思わない。あの部屋は彼のための場所であって、之路が彼を待つ場所ではないのだから。

 それが間違いだと、彼女はいうのだろうか。

「俺、は……貴女の言う通り、天野さんの部屋には滅多に自分からは行きません。でも、それは貴女にとやかく言われる筋合いはないはずです」

「…………」

「確かに天野さんよりも年下で、まだまだ自活するには程遠いところにいます。あの人にも……天野さんだけじゃなくて、蒼さんや尚貴さんにも甘えてばかりで……」

 自活なんて言葉を使えるほど、自分の足で立っているわけでもない。

 心に染み付いた闇に囚われることで自分を哀れみ、その感情の中に溺れていた時期もある。

 自分は不幸なのだと―――誰にもこの苦しみはわからない、そんな中に自分は居るのだと。

 ドロドロとした波に呑まれかけては浮かぶ之路を、彼は言葉と態度で救い出してくれた。

 今のままの之路でいいと、彼は教えてくれたのだ。

 正面から彼女の視線を捕らえ、之路は姿勢を正す。

「俺は、天野さんの傍から離れる気はありません。あの人が、俺の手をつないでいてくれる限りは、絶対に」





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