路傍の花




 長い廊下を幾度も曲がった先にあるのは、小さいながらも目的の用途を果たすには十分広い部屋だった。
 高い天井は話す声を響かせるため。床はよく磨かれた石が敷き詰められ、入り口から奥に向かって赤い布が道のように敷かれている。その先には一段高く作られたスペースと、豪華な玉座が一脚。その側の天井からは、玉座を囲むように光沢ある布がドレープを効かせながら垂らされていた。
 柱という柱は、余計な装飾のないシンプルなもの。側面に大きく取られた窓から光が差し込み、それを磨き抜かれた床が反射させる。部屋を照らすだけでなく、シュリの透き通るような薄い金色の髪を煌めかせていた。
 床に片膝を着き、頭を垂れている彼には知ることのできない光景だけれども。
 同郷からやってきた者でこの広間に入ることができる身分の者はいない。他の者は隣の控えの間、もしくは彼を運んだ馬車の傍で待機している。
 すでに彼らは使者として、警護として、自分達の仕事を果たした。その後は自国であるユドラグへと来た道を戻る。
 彼一人をこの国へ残して。
 このヴェルフィニ国の始まりはユドラグの南西に位置する蛮族が中心である。数代前に国として興り、現王の代で国土が随分と拡がった。
 拡げれば拡げるだけ、たくさんの血が流されたということ。
 ユドラグとは長く冷戦が続いていたが、今から半年ほど前にヴェルフィニの優位で停戦となった。
 停戦の条件としてヴェルフィニが突きつけたのは、交易と産物の輸出増加、そして人質。
 完全敗者のユドラグは逆らうことはできない。
「ユドラグ国第二王子、シュリマール殿、面を上げられよ」
 遠くからの声に促され、ゆっくりと顔を上げた。玉座に座る国王ローウェルを正面に捉える。
 ヴェルフィニの赤王ローウェル。
 赤王というのは、彼の髪が燃えるような色だからではない。通り名の如く、黒き甲冑が赤く染まるほど彼の通る道は血で赤いと謂われることが所以とされている。
 ここが戦場でないからか血を好むような人物には見えず、気高い印象を抱く。想像していた荒々しい気配はなく、何よりも、ユドラグの国王より感じられる身近な人間らしさが意外だった。
 そしてその脇に控えるのはこの国の皇太子、オルフェウス。
 ローウェルと同じく黒に近い緑の髪に褐色の瞳をもつ彼は、武力ではなく知力で父とこの国とを支えているという話だ。
「長の旅路ご苦労であった。今日からはこの城が貴殿の住処となる。国が異なれば何かと不便なこともあろう。まずはゆっくりとこの国に慣れていただきたい」
「……お気遣いいただき、誠にありがとうございます」
 慣れない言葉を、震えないように。
 ヴェルフィニの公用語でゆっくりと礼を口にすると、ローウェルの視線に促された一人の人物が前に進み出る。
「シュリマール殿、彼が宰相のアレイスだ。そなたに覚えていただきたい人物については彼が後ほど改めて紹介する予定だ」
「宰相を勤めるアレイスと申します。以後お見知りおきを」
 一礼をした彼に、シュリも礼を返す。
 二三のことを簡潔に説明した後で、彼はシュリの退室を国王に求めた。それが受理されたことで、わずか五分足らずの対面は終わる。
 二人の姿が扉で遮られるまで見送ったローウェルは、誰ともなしに呟いた。
「ふむ……どことなくヒルディナス王妃に似ているか」
「血が繋がっていれば当然でしょう」
「そなたも繋がっているように見えたか?」
 ローウェルの声に応え、陰から進み出た精悍な顔立ちの青年だった。漆黒の髪と灰青の瞳を持つ彼はローウェルの次男であり、正規軍の将軍職についている。シュリとは六歳しか離れていないが、すでに国政へ意見をする立場にあった。
「私は彼の王妃に面識がありませんので、なんとも。ユドラグは我らと違い、白い肌と茶に近い髪を持つ人種ですが……確か王妃は北方の血をお持ちでしたね。あの薄金の髪はそれを裏付ける一因と言われれば納得できる」
「確かに、あの髪の色は見事だな。ユドラグでもそうはおるまい」
「だが突然生まれないとも限らない」
「その通りだ」
 オルフェウスの言葉にローウェルは力強く頷く。
 ヴェルフィニは挑まれた戦に勝利し、人質の意味を込めてユドラグから王子の遊学を打診した。彼の国王の下に男子は一人しかおらず、遊学は事実上ユドラグの後継者を奪うことを意味する。
 ところが、先に遣された使者が告げたのは、後継者であるルシール皇太子ではなかった。
 兵に守られヴェルフィニに赴いたのは、薄金の髪に碧色の瞳の少年。ユドラグ王妃の髪色と王の瞳を譲られた、と言われれば納得するしかない配色だ。
 長く療養生活をしていて外に出せなかった等々言い訳が綴られ、ヴェルフィニ側は今に至っても困惑を隠せずにいる。
 停戦の取り決めを交わしてからおよそ二月。別れの時間を、と情けをかけたのが間違いだったか。
「シュリマール……やはり聞き覚えのない名だな。子供が一人と思って名前を出さなかったのが失敗であったかもしれん」
「ユドラグもなかなかの食わせ者ですね」
「小競り合いを企てる程度のものしかできないと思っていたが」
 おかげで長年の関係が変わり、ヴェルフィニが優位に立ったのだから、それくらいは目を瞑ってもいい。
 今の問題はユドラグの第二王子だ。
 自主的に供を連れず、単身でヴェルフィニに残されるシュリマール。
 もし彼が切り捨てられた身代わりだったなら、人質としての重みは軽い。
 してやられたと思う一方で、あの国に身代わりを立てる度胸があるとは思えないも事実だ。
 さて、これはどう判断するべきか。
「どうした?」
 オルフェウスの声に視線を向けると、次男もまた考えに沈み込んでいたらしい。
「気になることでもあるのか?」
「彼らが彼を身代わりに用意したとして……果たして二ヶ月であそこまで発音と姿勢とを身につけられるものなのか、と」
 先ほどの対面は一瞬で終わったが、それでも貴族なのか、それとも庶民なのかは見分けがつく。
 彼の振る舞いは幼い頃から慣れ親しんだだろう気配がある。短期間の付け焼刃ではせいぜい“様になる”程度だろう。
 おまけにヴェルフィニはこの大陸の共用語、ユドラグは北方の国に似た独自の言葉を使用している。
 いずれも彼が庶民出身だとしたら、そう簡単に覚えられるものではないはずだ。
 長男へと視線を向ければ、彼もまた不意を突かれたような顔をしていた。父の視線に頷く。
「ディレイの言も一理あります。貴族から選んだとしても、国土自体広くないユドラグで選べるほど妙齢の少年がいるとは限らない……」
「たしかに、状況を考えれば王族の可能性も否定できないな」
「だが、貴族にいなかったとも限りません。いずれにしても誰かに調べさせましょう」
「では、私の部下を。以前ユドラグに潜入していた者ですから、怪しまれることはないでしょう」
「頼んだぞ」
「お任せください」
 父親の命に、二人の息子が力強く頷いた。





NOVEL   


(H20.10.19)





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