恋愛ノススメthe turning point

 

 

 

 あの忌まわしいイベントが終わって二週間。昶の生活は一変していた。
 まず、下駄箱に押し込められている封筒が登校した昶を迎える。廊下を歩くたびに纏わりつくような視線が向けられ、時には声がかけられ、果てには今のように拉致されるようになった。
「俺と付き合ってくれ」
 学食へと向かう途中、見知らぬ手に腕を掴まれ、ずるずると引きずられてきたのが校舎裏。抗えないまま、気づいたら昶は壁を背に相手と対峙していた。
 人の昼を台無しにした人物はまったく見覚えのない相手で、切々と彼の感情を語る。そしてキリがつくたびに昶はお断りをしていた。
「だから、俺にはそういう趣味はありません!!」
「そんなに否定しなくてもいいだろう? 傷つくなぁ。俺だって本当はないんだから」
「だったら……っ」
「でも、小泉は特別みたいでさ」
 向けられた視線に熱がこもる。それに気づいた昶は嫌な予感に捉われた。迫ってくる影から逃れようと立ち位置をずらすが、相手の隙は見つけられない。それどころかじりじりと相手との距離が狭まってきている。
 できることなら一目散に逃げ出したいが、背中を見せた途端に抱きつかれそうで恐い。実際、先日は抱きつかれたのだ。辛うじて逃げ出したものの、そのときの恐怖心はまだ新しい。
 何とかしてこの場から脱走しなければ。
 追い詰められるまま、背後から抱きつかれないようにと壁に近づきすぎていた。背中にそれが触れた途端、耳の脇で大きな音が立ち、気づいたら相手の腕で柵を作られてしまう。目の前には先ほどと変わって余裕のある表情があった。
「ほら、もう逃げられない」
「―――――っ」
 近づいてきた顔を避けると、露わになった無防備な耳が露わになる。男の息が耳朶を擽り、昶は思わず身を捩った。
「お、結構敏感なんだな?」
 昶を捕らえたことで気が大きくなったのだろう。どうみても嫌がる昶のそぶりを楽しんでいるとしか思えない。おまけに調子に乗ったにやけた顔が近づいてくる。
 目前の胸板を手で押し返し、必死に顔をそむけて抵抗をしたその時、
「―――――うわっ!?
 迫っていた男を中心に、大量の水が降ってきたのである。滝は一瞬のうちに姿を消したが、しっかりと二人に被害をもたらしていた。
「な、何だよ、これ!?
 男がびしょ濡れになった自分の姿を慌てて確認する。それを呆然と見つめていた昶は、思い出したように視線を上に向けた。すると、そこには見覚えのある生徒が数人、窓から身を乗り出している。先日否応なくお知り合いにさせていただいた生徒会の面子だ。見上げた瞬間微かに見えた青色は、間違いなくバケツだろう。
 納得した昶と目線を合わせた生徒会長がにっこりと笑みを浮かべる。その唇に人差し指を当てると、彼は濡れ鼠となった男に向かって声をかけた。
「ごめんねぇ」
「―――さ、斎賀!? なんで……」
「何でといわれても、ここ、生徒会室なんだけどな。下に人がいるの、気づかなかったんだ。木に水をあげようとしただけなんだけどさ。春とはいえまだちょっと寒いから、早く着替えた方がいいと思うよ」
 まったく罪悪感を匂わせないそれに、男は文句を言おうとした。だが、数度口を開閉させただけで肝心な言葉が出てこない。昶の目から見ても、男の狼狽振りは明らかだ。
 斎賀は男をしばらく無言で見下ろしていたが、今度はつと視線を昶に向ける。
「昶くん」
 先ほどとはうって変わった柔らかい声に、昶の背筋はぴんっと伸びる。知らない人が聞けば優しく話し掛けられているように見えるだろう。だが、実質は強制力をもっているのを前回嫌というほど味合わされている。
 恐々と視線を向けると、満面の笑みを浮かべた斎賀がいた。
「そんな男は放っておいていいから、ここにおいで」
 ―――逆らう方法があれば、誰か教えて欲しい。
 
 
 

 生徒会室は特別棟と呼ばれるHP棟とは別の建物の一角にある。ある場所を知っていて、一度限りとはいえ足を運んだことがあったものの、外から見たときの位置関係はまったく覚えがなかった。
 聞けば、この三人と和意は昼休みをほぼ生徒会室で過ごしているらしい。
 おそらくあの生徒も似た感覚だったのだろう。そして彼らがここで昼休みを過ごしてくれたおかげで昶は助け舟が出されたわけだが。
「大変だね、昶くん」
「……おかげさまで」
 ソファーに座って差し出されたふかふかのタオルで頭を拭きながら、昶は胡乱な視線を向けた。おや、と瞠目するその仕草がわざとらしい。
 そう、この男は「大変だね」と過去形ではなく現在形で言ったのだ。それに気づけば、自然と結びつくことがある。
「たまには苦労をするのもいいんじゃない?」
「同じ苦労なら、別のものを選びます。なんだって追っかけられなきゃなんないんですか」
 腹の中で煮えくり返っている感情を堂々と表に出しながら呟いた。
 あのイベントさえなければ平和に過ごしていたはずなのだ。しかも、無人の教室で襲われることもなかったはずで。
 勢いのまま思い起こした昶は、具体的な過去を思い出してしまった。あの日以来昶を捕らえ続けている温もりと感触が一気に蘇ってきて、頬に熱がこもる。
 俯きタオルを動かす手も止めた昶に、斎賀は苦笑をした。
「ほら、きちんと乾かしな。体調崩したところに襲われても知らないよ」
「…………」
 これからも似たようなことがあるのを示唆され、昶は意地のようにタオルを動かす。あらかた乾いたところで手を止めると、ほど良いタイミングでティーカップが前に置かれた。顔を上げると綺麗な笑みを浮かべた書記の高橋が立っている。
「体の中から温めたほうがいいだろ」
 ありがとうございます、と会釈をして、昶はそれを手にとる。カップから伝わる温もりにほっと一息つくと、途端に空腹が気になった。慌てて時計を見ると、すでに昼休みは半分を過ぎている。
「……最悪」
「うん? どうしたの?」
「学食行こうとした時に捕まったんで、まだ昼食ってないんですよ。もう購買にはろくなの残ってないだろうなぁ……」
 はぁ、と深い溜息をついた昶は紅茶を飲みほすと、失礼します、と立ち上がる。すると、待ち構えていたかのように高橋がその肩に両手をかけ、全体重をかけてきた。当然予想していなかった昶が負ける。即座にソファーへ戻った昶はきつい眼差しを真上に向けた。
「今、金児が戻ってくるから、イイコで待ってなよ」
 あっさりと昶の視線を流すその性格は、斎賀と良く似ている。朱も交われば何とやら、だろうか。
 金児というのは和意と同じく副会長を務めてる、昶と同学年の生徒会役員だ。クラスが違うため会話をした記憶はないが、顔だけは知っている。印象としては、真面目、というよりもお祭り男というイメージの方が強い。
 昶としては、金児を待つよりも早く空腹を宥めたいのだが、ここで無理やり立ち上がると何かが起こりそうでできなかった。
 程なく生徒会室の扉が音を立てて開いた。
「小泉、待たせてごめんっ」
 真っ直ぐにこちらに向かってきた金児が持っていたのは、サンドイッチとその他諸々。差し出されたそれらと金児とを見比べていると、斎賀が受けとることを勧めてきた。金児もそれに頷いたため、昶は素直にそれらをありがたく頂戴する。
「いくらだった?」
 ポケットから財布を取ろうと身動ぎした昶を斎賀が言葉で止める。
「イベントの迷惑料だと思ってくれていいよ」
 つまり、タダということらしい。
 少し逡巡したしたあと、ありがとうございます、と素直に礼を言った昶だった。
 
 
 

 引き止められるまま生徒会室で昼食をとった昶は、午後の予鈴を機に腰を上げた。
 一緒に戻ろうという金児とともに生徒会室を後にする。だが、廊下の角を曲がる前に金児が慌てた声を挙げた。
「金児?」
「悪い、忘れ物したからこのまま待っててくれないか?」
「……別にいいけど」
「すぐ戻るから、そこから絶対動くなよ!?
 金児が昶を一人で戻さないのは昼休みの件があるからだろう。心配をしてくれるのはありがたいが、守られているようで少し複雑な気分だ。
 いいな、と何度も念を押しながら金児が走っていく。それを見送った昶はため息をついて廊下の窓に背中を預けた。
 前回生徒会室に来たときと違い、ゆったりとした時間を過ごしたと思う。ろくに話したことのない彼らとの空気は思った以上に居心地がよくて、食べ終わってからもそのまま昼休みを過ごした。
「……結局来なかったな」
 いつもなら居るという和意は、今日に限って別行動らしい。あんなことがあって以来まともに顔を合わせていない昶にとっては運が良かった。斎賀たちが居る前で普通に振舞えたかすら怪しい。
 誰々を振った。今、誰々と付き合っている。
 色恋に関しては派手な噂の多い彼が、なぜ昶を視界に入れたのだろう。噂どおりであるなら、彼は自分から手を伸ばす必要はないはずだ。
 あのときまで平和に会話をしていた和意の姿を見て、昶は噂の存在を忘れていた。それどころか、不貞腐れる昶を説得するその姿が普段の彼と一致しなくて嬉しかったのに。
「なんで……したんだろう……」
 自分で呟きながら、昶は顔を赤くする。
 ファーストキスだった、と気づいたのは和意が立ち去った後。あの時は外から急かす斎賀の言葉にやけくそでチョコレートを外に放り投げた。それが一部の生徒に受けたらしく、余計な被害まで受けているが。
 あれ以来繰り返し蘇る和意とのキスシーン。その度に重なった唇の感触を思い出しては、そこに熱が集まる。まるで待ち望んでいたキスを反芻しているかのようだ。自分の指で辿り、何度も夢でなかったことを確認してしまう。
「…………」
 怒りはある。だが、和意とのキスが嫌だったかと問われたら昶は沈黙をするだろう。
 自分の気持ちがわからないままだ。それなのに、和意とのキスばかりが昶の感情を総なめにしている。
 今も和意のそれが重なっていたかのように感じ、慌ててその感覚を追い払った。一人で俯いているから悪いのだと視線を窓の外に転じた昶は、そのまま動けなくなる。
 裏門と呼ばれ、自転車置き場を併設するその場所に和意がいた。その正面には見知らぬ生徒が立ち、和意に向かって何かを訴えている。
 和意が姿を現さなかったのは、この呼び出しがあったから。そう理解した瞬間、どうして、と昶は呟いた。
 彼のことだから、呼び出しを受ければ告白をされると想像がつくはずだ。なのに、こうして素直に赴いているということは、それはつまり告白を受け入れる可能性があるからではないのか。
 昶が見下ろす彼らの間に距離はない。お互いに一歩前に出れば体が密着することもできるだろう。―――あの日のように。
 ふいに視界の中で一人が動いた。どくん、と心臓が大きな音を立てる。
 痺れたように体が震え始めたのは、和意の胸に彼が飛び込んだからじゃない。
 和意の腕が、飛び込んできた彼の身体へ回すために動いたからだ。
「…………っ」
 二つの体が一つになる。
 その意味を理解し、昶は真っ青になった。笑い始めた膝に力が入らず、その場に座り込んでしまう。床が冷たいとか、制服が汚れるとか、そんな感情は一切浮かばない。
 どくどくと血液を勢いよく流す心臓が煩い。
 あまりにも激しく動くために、胸が痛い。
「……どうして……」
 誰に、何を問い掛けたかったのか。
 無意識の呟きは誰もいない廊下に霧散した。
 
 



 
 ちょっとした中間地点として書いてみましたが、こんなもんでいかがでしょう。
 和意は今回一っ言も科白がありませんね。その代わり会長sに名前がつきました(笑)。書いてる途中でぽっと浮かんだ名前なのですが、意外と嵌ってると思い、そのまま使用決定したという裏事情が……本人が聞いたら何かをされそうで恐い理由です(マジで)。
 
 



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