甘い関係
季節ごとにその旬の味覚を食べるべし。
そのポリシーを持つ相手と付き合いだしてから、食に対する見方が変わったと思う。
旬の物を食べるのはいいことだと知っていても、なかなか実践しなかったと言うのが実情だ。
「随分と感化されたよな」
目の前にはこの季節の旬の代表、秋刀魚。
放課後、仕事で忙しいはずの彼から「晩飯に秋刀魚希望」とメールが届いた。仕事合間だと窺わせる端的なそれは、きっと周りの目を気にしながら打ったのだろう。一週間ぶりのメールがこれかと怒る前に、思わず笑ってしまった。
つい先ほど到着予定時刻の連絡があったため、それに合わせて焼き始めた。付け合せの大根おろしとサラダはすでに冷蔵庫の中で出番を待っている。
焼けるまで時間があるし、とダイニングテーブルにつく。予め置いておいた雑誌を手に取った。
スーパーでレジに並ぶ直前に見つけたそれは、特集と題された煽り文句に釣られて購入したものだ。
今話題のイケメン有名人に迫る―――ありきたりな言葉なのによく使われるのは、それだけ女性の心をくすぐるキーワードなのだろう。
テーブルに頬杖をついてぱらぱらと捲る。目的の特集はすぐ目に付いた。
四頁ほどの特集に、広告かと思うほどのアップの写真。文章よりも写真の方が大きいのは、読者が彼の見た目を必要としているからか。
普段とは違う仕事モードの表情は、正直格好いいと思う。意思をもって未来を見据えた目は、人を惹きつける力がある。
だが、斜め読みをしていくうちに、その内容の俗っぽさが鼻についた。彼の仕事ではなく、私生活ばかりに焦点を当てたがる編集サイドの思惑が見え隠れしている。
仕事の話もしただろうに、都合のいいところを抜き出す。それが編集としての仕事だと分かっていても理不尽だと思うのは、自分がまだ子供だからだろう。
大人の駆け引きはまだ無理だと自信をもって言えるのが情けない。
読む気が失せてきた頃、飛び込んできた文章に思わず姿勢を正した。
―――パートナーに求めるのは、甘えられることではなく、自立をしていてくれることでしょうか。支えあうのではなく、互いに磨き合える状態で競っていきたいですね。
甘やかし、相手の願いを叶えるだけの関係ではなく、人と人として付き合っていくこと。
これが彼の理想論ではないことを、よく知っている。
実際表立って彼と並ぶ人物は、彼と正面から渡り合うことができるのだ。表情は自信に満ち溢れ、時に冷静な判断で彼と対立する。
互いにパートナーと呼べる関係を築く彼らに比べ、自分は、と振り返る。
もうすぐ高校を卒業する未成年。しかし後数年は庇護されるだけの立場であることに変わりない。
公私共に彼の横に立つことは不可能なまま。
今の自分にできることは、ただ彼を待つことだけだ。
「……やばい」
泣きたくなってきた。
彼の恋人は自分だと主張をするのは簡単だ。だが、それに見合うだけのものが自分には欠けている。
それを改めて突きつけられ、心の中であらゆる思いが渦巻く。
彼の自分に対する気持ちを疑うわけではない。
足りないのは、自分に対する自信だ。
「おい、何の匂いだ?」
突然降ってきた声に、勢いよく顔を上げた。振り返れば写真の人物が怪訝な顔で立っている。
「―――匂い? あっ!」
呆然と彼を見やっていたが、先ほどの言葉を理解した瞬間慌ててコンロに駆け寄る。匂いの元は脂が乗っていたはずの秋刀魚だ。
否、もはや秋刀魚と言わずに墨といったほうがいいかもしれない。
「……やっちゃったよ」
「何をやってるんだ、おまえ」
一連の様子を見ていた彼の呆れた声が背後から届く。
「ごめん、秋刀魚ダメになっちゃった」
黒焦げのそれを見せると、ネクタイを外していた彼は片眉を跳ね上げた。拳骨がこつんと軽く頭に降ろされる。
「で?」
「……で、って、何?」
「それが黒焦げになった理由」
指で指されたそれは、彼が仕事の合間にリクエストしたものの成れの果て。
楽しみに帰ってきたというのに、秋刀魚は焦げてるし、恋人は浮かない顔をしている。こちらの気分まで沈んでしまいそうだ。
上着をダイニングテーブルの椅子の背にかけた彼は、視界の端に見覚えのある雑誌を捉えた。
「なんだ、買ったのか」
「あ……うん、レジの横に並んでたから」
無意識だろう視線を逸らす彼に、この雑誌が原因だと気づく。手に取り自分の記事を斜め読みするが、女性誌向けのコメントが多いくらいで特別なことは何も書いてない。
「何が気に入らない?」
「……気に入らないんじゃない」
「それなら何だ?」
「………………だけ」
「なんだって?」
「自分が嫌になっただけって言ったの!」
二度も言うのが嫌で、思わず声を荒げてしまう。対して言われた側は何のことか分からず目を丸くした。
「何の話だ? この雑誌と何の関係がある?」
ようやく向けられた視線はどこか不安定で、抱き寄せたい衝動に駆られる。だが、この時点で行動しても何の解決にもなるまい。
名前を呼んで促せば、渋々といった感じで口を開く。
「……隣りに並ぶのは、僕じゃないんだって勝手に思っただけ」
「隣り? ……ああ、このパートナーの件か」
手に取っていた雑誌と指で弾く。ぴくりと動いた肩を、今度は問答無用で抱き寄せた。
「莫迦だな」
「………っ」
「おまえは俺のなんだ?」
「―――……恋人?」
疑問系で応えた彼の頭を軽く叩く。
「そう、恋人だな。おまえとパートナーは別だろう?」
「……違う、の?」
「パートナーっていうのは、相棒って意味だな。仕事をしていく上で、あいつは必要な相棒だ。それ以上でもそれ以下でもない」
もっとも、と付け加えられて顔を上げれば、どこか楽しそうな表情で見下ろす視線とぶつかった。
「私生活でも持ちつ持たれつだけれどな」
「で、でも、あの質問は恋人に関してだった!」
「俺は『恋人』とは一言も口にしていない。パートナーという言葉をどう解釈されようとそれは自由だからな。受け取る側の判断までゆだねられても困る」
「……甘えられるとかの部分は?」
「あいつに甘えられるなんて考えたくもないね」
わかったかと浮かべられた策者の笑みに、ただ呆然と呟く。
「………………騙された」
「騙される方が悪い。大体どうしておまえが騙されるかがわからないな。これだけ甘やかしてやってるのに」
だからじゃないか。
せっかく音に出さずに呟いたのに、表情に出ていたらしい。少しだけ驚いた顔をした彼は、すぐに面白がる笑みを浮かべた。
嫌な予感に体が反射的に逃げようとする。だが一歩動く前に逞しい腕に捉えられる。
「そうか、余計なことを考える余裕があったとは……。それは失礼したな」
「うわっ、ちょ、ちょっと……っ」
「暴れたら落とすぞ」
「それはやだっ! それより、ね、ごはんはっ!?」
「後で食べる。それよりも今すぐに、別なものをお互いに食べないと関係が揺らぎそうだからな」
「ゆ、揺らがないって! ちょっ……悠!!」
「余計なことが考えられないくらい甘やかしてやるよ」
唇がほとんど重なった状態で囁かれ、吐息がかかる。
ずるい、と思ったのもつかの間のこと。
落ちてきたそれを甘受する自分も、彼には甘いのだと思い知った。
07.11.09
以前参加していた「くるっとりんく」の秋恋バージョンで開催していたblogショート小説に書こうと思いつつ、時間の都合出かけなかったネタです。今新しいシリーズを立ち上げる余力がないので、練習がてら書いてみました。
キャラクターは片方がすでに某小説で登場していますので、興味のある方は隅から隅へとしっかりご覧ください(笑)。
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