あなたの傍で



 頭を駆けめぐるメロディというものが時折存在する。

 それは流行の曲だったり、古い曲だったりとジャンルに関係なく頭の中を支配するものだ。違う曲を思い出そうとしても許さないほどに、意識が音楽にもっていかれてしまう。

 邪魔にならない程度のジャズが流れるバーのカウンターに陣取り、グラスを傾けていた之路は、先ほどから頭の中で流れている懐かしい曲を思い出していた。

「今はあなたしか愛せない、か」

「ずいぶん切ない言葉だね」

 メロディラインの最後に語られる歌詞を呟いたそのとき、カウンター越しに声をかけられた。ついさっきまで忙しそうに手を動かしていた彼だが、どうやら一区切りついたらしい。ごく少数しか知らない穏やかな瞳をこちらへと向けている。

「ん――? さっきこの店に来る途中でかかってた有線の曲が頭の中ずっと回ってるんだよね」

 間違いなく世代ではないのに、知っている曲。まだ歌謡曲という言葉が主流だった頃に流行ったそれは、年代を超え今でも多くの人間が耳を傾けている。

 之路にとってこの曲は何となく聞き覚えのある曲なのだが、それは幼い頃に聞いたとき、歌詞の意味まで理解できなかったからだと思う。そうでなければ、何となくでも記憶に残るはずだろう。

「他の歌詞とかまったく覚えてないんだけど、このフレーズだけ残っててさ」

 メロディを軽く口ずさみながら之路はグラスへ口をつけた。琥珀の液体は炭酸が口の中ではじけ、苦味が後から追ってくる。それを味わいながら、再び頭の中を巡る歌に意識を向ける。

「それって女性の歌だよね。それもすごく一途な歌。僕もはっきり覚えているわけじゃないから断言はできないけれど」

 言外に世代ではないことを匂わせる蒼に思わず笑みを浮かべる。ここで天野や尚貴がいたなら強引なつっこみが入っただろう。そして、蒼が拗ねるまでそれは続けられるのだ。

 そんなことを簡単に思いついてしまえるほど、この三人は仲がいい。年齢も職業もばらばらなのに、何かを共有し合う彼ら。その中に入っていけるほどの何かを、之路はまだ見つけていない。

 時折疎外感を感じるのは僻みだろうか。

「それで、ユキは何を気にしているの?」

「――――……え?」

「その歌。ずっとぐるぐる回っていて、でもその歌詞しか出てこないんでしょう?」

 こちらの感情を読んだのかと一瞬本気で驚いた。続けられた言葉に、之路は知らず込めていた力をそっと抜く。

 あらためて問われたことを反芻する。歌詞を一部しか覚えていないのは、その言葉しか覚える気がないからなのだろうか。本当のメロディ部分も本当は覚えているけれど、最後のフレーズほど気にはならない。

「う……ん、やっぱり気になってるのかな? なんとなく暗いかなって思ってはいたけど」

「暗い? ……ああ、口調が嘆願系だからかな?」

「嘆願系……」

 言葉を繰り返しながら之路は首をひねる。先ほど口に出したところは、そんなに当てはまらない気がする。

 考え込んでしまった之路に、蒼が柔らかな声で歌詞の内容を話す。

「あなた」という相手と出会ったからこそ今の自分があり、今の自分を気にいっている。出会わなければ平凡な暮らしをしていただろうけれど、それをしたいとは思わない。

 好意という言葉では表せないほどの熱がこめられている歌だと、蒼は感想をつけた。

「さっきのフレーズの前に『そばにおいてね』って言葉があるの、知ってる?」

「『おいてね』?」

「うん。自分の意思でいるのではなく、相手の意思に頼ってるのが昔風だよね。今の曲だったら『一緒にいたい』とか『一緒にいよう』になるんだろうな」

「ふぅん」

 歌詞の流れは意思表示のでき難い時代の象徴なのだろう。相手を窺い、そして願うことで恋人という地位を保ち続けるなんて、之路には想像もできない。いや、想像はできるが、身近に感じたくないというのが正解か。

 互いが対等であること。

 それが「今」の恋愛の風潮だと思う以前に、そうありたいと願うから。

「そっか……」

「ん?」

「今はあなたしか愛せない、って寂しいなって。なんとなく、失恋しかけていて、でも相手しか見ることができないからのように聞こえる」

 蒼はこの歌を「一途な歌」と称した。しかし、大まかな内容も知らなかった之路としてはどこか一抹の不安を抱かされる。

「今」強調し、どことなく「未来」を予想させることのない詞だからだろうか。

「そういう意味でも、嘆願系なのかな」

「なるほどね」

「―――って、蒼さん、なんで笑ってるの」

 打たれた相づちがどことなく震えていたのを不審に思えば、案の定彼の表情はどこか緩い。之路をからかうような笑いではないが、理由のわからないそれはどことなく居心地が悪い。

 なんとなく憮然とした表情をした之路に、蒼はごめん、とそれを苦笑に変える。

「笑いながら言われても説得力ないよ」

「他意はないんだって。僕としてはね、嬉しかったの」

「………?」

「ユキってそんなに音楽とかに興味を持っていないでしょう。あっても構わないけれど、なくてもいい存在って表現のほうが近いのかな。他人がどうこうしようと自分に与える影響はありません、って思ってる節があるし」

 蒼の言葉に之路は否定できない。自分に必要な情報を与えてくれない物に一切の興味を抱かなかった。今でこそ耳を傾けるようにはなったものの、それはまだ限られたごく僅かな部分だけだ。

 今回の例でいえば、メロディを受け入れても歌詞は遮断するのが常だっただろう。

「それが、他人の言葉で語られる感情までに興味を持つようになったのかと思うとね。誰かさんのおかげかな? と思うとちょっと寂しいけれど」

 ね? とからかいの笑みを向けられて、之路は小首を傾げる。

 蒼の言う「誰かさん」の影響は確かにあると思う。でも、それは之路の中に基礎を作ってくれた人物たちがいたからじゃないだろうか。

 之路は小さな笑みを浮かべ、上目遣いで大切な相手を見やる。

「……蒼さんのおかげじゃないんだ?」

「僕はそう思っていたいんだけれどね」

 照れくさくて面と向かって言えなかった言葉も、今なら言える。

 それはあの歌のおかげということにしておこう。

「天野さんが影響を与えてくれたのは確かだけれど、今こうしていられるのは蒼さんが俺を拾ってくれたからだよ」

 だから、一番の大本にいるのは蒼さん。

 続けられた言葉に蒼は小さな微笑を返した。

 

 

 

 ―――にっこりと笑う之路に、周りが見惚れた、という話はまた後日。

 

 

 


 当初、之路が文字のすぺしゃりすと・尚貴と対談する予定だったのですが、話が進まなくて(←またか…)、蒼を出して三人にしても進まなくて……結局こうなりました。登場人物が変われば話も変わるのです、はい。あ、天野氏は最初から出てくる気配はありません。

今回の葛藤としては、時系列ですね。話が進まなくなって、いっそ天野と出会う前にしてしまおうか? いや、そうするとまだ之路は拾われたばかりの子猫で里親いないよ()ってなことでこんな形になったわけです。

 ―――このネタになった歌をわかる人ってどれくらいいるんだろうなぁ……。




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