それは花嵐のように・おまけ
ざわざわとした声が建物の壁越しに伝わってくる。式の特有の緊張感が、講堂内にいる生徒たちを賑わせているのだろうか。
壁一枚向こうのこと、普段であれば僅かでも聞き取ることができたかもしれない。今の昶にとって、何の話をしているのかを理解するには少し遠かった。
昶を捕らえているのは、壁の向こうで行われているだろう式典でも先ほどのやりとりでもない。壁に押し付けられ、身動きのできない状態で甘受した和意の唇の熱さだった。
荒々しく重ねられたそれを受け止め、やがては促されるまま口腔を明け渡した。途端に侵略され、昶はぎゅっと目を瞑る。
「ん…………っ」
鼻から漏れる自身の吐息は甘さを滲ませる。
それに気づき、捩りかけた身体は和意の逞しい腕に遮られた。そのまま抱きすくめられ、ますます昶は逃げることが叶わなくなる。
項に当てられた掌がしっかりと角度を固定し、昶をさらに仰向かせた。更に深くなるそれを、昶はただただ受け入れる。
諦めて和意の背中に腕を回すと、ふと笑みを含んだ気配がした。ゆっくりと瞳を瞬けば、キスを交わしながらこちらを見下ろす和意と目があう。
「―――――っ」
先ほどまでの威圧する視線でないことに安堵するよりも、いつから見られていたんだろうと考えてしまい、ますます顔が赤くなる。
抗議の意味も含めて背中を叩けば、ようやく自由に呼吸をすることを許された。音を立て、見せ付けるようにゆっくりと離れたそれを無意識に追う。艶かしく濡れる原因が自分にもあると気づき、慌てて視線を反らした。
「大丈夫か?」
「…………っ」
僅かに上がった息を整えようと目の前にある胸へと顔を埋める。その仕草を和意が愛しげな表情で見下ろしていることを昶は知らない。
顔を赤くして俯くその姿を可愛いと思う度に、自分は本当に変わったのだと繰り返し気づかされた。
来るもの拒まずで過ごしていた和意にとって、初めて自分から手に入れた昶との関係は新鮮だ。
たった一人の人間だけを視界に入れ、彼の視線を独占したいと考えてしまうほど、和意は昶に溺れているといってもいい。
過去をどんなに振り返っても、昶ほど和意の意識を奪い続ける相手はいない。いや、足元にも及ばないというべきか。
和意が目を光らせてからというもの、昶の周囲は僅かに変わった。副会長の相手、生徒会を背後に得たという噂が先行した部分もあるが、良い意味でも悪い意味でも注目度が上がっている。
それは虎視眈々と狙っていた輩にとって大きな誤算だっただろう。
おかげで卒業式恒例の一大イベントに担ぎ出されることもなく、平和な日を過ごしていたというのは聡里の言だ。
だが、誤算は和意にもあった。
昶を慕っていた後輩が入学してくるとは予想だにしておらず、しかも彼自身が抱きつかれても拒まない相手だ。これからの日々が思いやられると、知れず溜息が零れる。
すると、胸元に顔を埋めていた昶が小首を傾げながら和意を見上げてきた。
「先輩?」
瞳の中に浮かぶ、時折見せる無意識の甘え。聡里でもおそらく見たことがないであろうその表情に、全てを委ねると意思表示されているような錯覚さえ抱いてしまう。
細い身体を抱く腕に篭める力を緩めても、昶は大人しくその場に留まる。そして和意は僅かにかけられる体重と向けられる笑みに満足する。
ごたごたしたのはほんの一月前だというのに、お互いずいぶん馴染んだものだ。
こんなのも、悪くない。和意は小さな笑みを浮かべると、目の前にある額に自分のそれを軽くぶつけた。子供の熱を測るようにくっつけたまま、戸惑う昶と視線を合わせる。
「あ、あの……?」
「頼むから俺以外のやつに着いて行くなよ」
現実的に不可能だとわかっていても、口に出さずにはいられない。
「……何、それ」
「どうも知ってるやつらに対して甘いからな、おまえは。仲が良かったからって簡単に抱きつかせるな」
「桧原のこと? でも、ただの後輩だし……」
なぜ彼を気にするのかがわからない。そんな疑問を抱いているのが容易に伝わってきて、和意は再び溜息を落とした。
きっと全てを言わないと納得しないのだろう。
面倒と思わなくもないが、これで昶の考え方が変わるのなら手間隙などを惜しむのは愚かというもの。
本当に初めての事尽くしだ。
「あのな、後輩だろうとなんだろうと、おまえに抱きつく人間がいて俺が嬉しいと思うか? 聡里でさえ引っかかってるってのに……」
「えっと…………えぇ!?」
今、とんでもない発言を聞いたような気がする。
頭の中で数度繰り返し音を文字に変換してようやく、昶は和意の言葉を理解した。
彼が口にしたのは紛れもなく……。
「先輩……妬いてるの?」
ついぽろっと音にした昶は咄嗟に口元を押さえた。いくらなんでも相手に向かって言う言葉ではないと知っている。
上目遣いで和意を見上げれば、案の定こちらを見る視線が冷たい。
「―――おまえはよほど俺を怒らせたいようだな」
「そ、そんなつもりじゃなくて……っ」
「へえ? それなら、どんなつもりだったんだろうな? 後でじっくりと聞かせてもらおうじゃないか」
触れていた温もりがふいに遠ざかる。昶の細い身体を抱く腕が離れて、和意との距離ができたことに昶は気づいた。
「せ、先輩?」
「そろそろ時間だな。あいつらも煩いし、戻るぞ」
先ほどまでの穏やかな空気は霧散し、校内で見かけるときの和意に戻っている。近寄り難いというよりも、どこか一歩退いた場所に佇むそれに昶は焦った。こんな中途半端な状況で間を置きたくない。
あっさりと歩き出したその背中に手を伸ばし、指先に触れた瞬間迷わず引き止めた。上着に皺が寄ろうとこの際気にしないことにする。
足を止めた和意は無言で振り返った。視線だけで促されることに昶はむっとする。
「……子供っぽい」
「―――オコサマなおまえに言われたくないな」
「誰がオコサマだよ!?」
「違うなら証明してみるか?」
どこか楽しげに笑うその表情が意地悪だと思ったのも束の間のこと。昶は上着を掴むその指に力を入れ直すと、全体重をそこにかけた。油断していた和意の身体が大きく崩れる。
「ぅわ……っ」
傾いだおかげで目線が変わらなくなった昶は、迷うことなく和意の唇に自分のそれを重ねた。
「…………」
「しょ、証明したからね!」
瞠目する和意から離れると、昶は振り返ることなく走り出す。それを引き止めることなく見送った和意は、ややあってから腹を抱えて笑い出した。
たしかに、子供ではない。
時間にすると僅かで、しかも熱が移りきる前に終わった口付けは、とてつもなく不器用なものだった。それでも、昶が初めて自分から動いたことに違いはない。
「あのまま行ったら聡里にばれるぞ」
顔だけでなく耳まで赤かった。聡里は気に入っているものを苛めることが多々ある。その傾向は和意よりも強く、きっと思う存分昶を構い倒すことだろう。
困る昶と詰め寄る聡里の姿が容易に想像できるだけに、和意の笑いは止まらない。
早く式を終わらせて昶を迎えに行こう。
その時の昶がどんな表情で迎えてくれるのかが楽しみだ。
……あれ? なんでこんな話になってんの(汗)!?
この話自体のイチャツキ度が低すぎたのと、和意の機嫌が絶対零度に近かったから何とかしようと思っておまけを書き始めたのですが……なぜだろう?? こ、これも痴話げんかってことで(笑)。
この二人はbromistaメンバーと違って好き勝手に動いてくれるので、楽な反面乗ってくれるまでが大変なのです。今回の暴走はもちろん和意。珍しく素直になったと思えば、勝手に拗ねてかってに怒ってるんじゃな〜〜〜いっ! まったく……。
ちなみに「聡里くん〜」の1がこの近日話になっていますので、よろしければそちらもどうぞ♪
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