過ぎし時間に遊ぶ子供 

 

 

 

 翔醒が、来ない。伊由壬と共に茶と茶請けの準備をしながら廊下に通じている扉に視線を流す。

 何時もならば、親衛兵を伴って姿を現す時間なのだが。

 零が碧宮に移ると同時に、翔醒は仕事の合間に休憩と称して茶を飲むために碧宮に戻って来るようになった。零と共にある時間をできる限り多くとろうと考えたからだ。

 朝食と昼食の間に一回、昼食と夕食の間に一回。

 昼食前の休憩は、朝議や他の仕事の関係で潰れることが多々ある。零が碧宮で日常生活を送るようになってから一月の時が流れたが、朝の休憩時間に翔醒が現れたのは数えるほどだ。

 一方、昼食後の休憩は、今まで欠かすことがなかったのだが。

 翔醒が決めた休憩の時間になっても、足音も聞こえてこない。

「どうしたんだろう…」

 翔醒の分の茶器を用意するか否か迷っていると、眺めていた扉から音が聞こえて来る。控え目な叩き方が、翔醒ではないことを示している。

「零莉様、どうしますか?」

 伊由壬も扉を叩いた人間が翔醒以外の者だと気付き、零に指示を仰ぐ。

「失礼かもしれないけれど、扉は閉めたまま名前と用件を」

 碧宮に立ち入ることができる者は、皇帝の許可を得ている者だ。危険人物ではないだろうが、命を狙われ続けている現状を考えると、慎重に慎重を重ねた方がいいだろう。

「はい」

 茶請けが入っている箱を卓子に置き、扉に向かう。

「何方様でしょうか?」

「参謀官愁煉です。皇妃様に、皇帝陛下より言付けを預かってまいりました。皇妃様に御目通り願います」

 声は、確かに名前の主のものだった。

 伊由壬は零を振り返り、

「愁煉様です。皇帝陛下からの言付けをお預かりのようですが…」

「入ってもらって」

 零の言葉を受け、扉を開く。

 扉の向こう側に立っていた愁煉は一礼し、室内に足を進める。出入り口の近くに留まり、両足を揃え、腰を屈める。

「碧国二十八代目皇帝陛下が皇妃、零莉様、本日は御目通りお許しいただきましてありがとうございます。私、参」

「あのっ!」

 突然始まった口上に、零は目を瞠った。翔醒の茶器を片付け、来客用の茶器を出していた手を止める。

 失礼なことだとわかっていたが、愁煉の声を掻き消す声を上げた。

「それ…その口上、止めてください。…どうしたんですか?」

 茶器を卓子の上に置き、固まったように動かない愁煉に近付く。

「どうしたとは…何がでございましょう?」

「…翔醒が一緒にいる時は、そんな形式に則った挨拶はしませんよね。言葉遣いも丁寧過ぎませんか」

 翔醒がいない状況で愁煉と会ったことがなかった零は、態度の違いに訝しげに眉を潜める。

「それは、陛下がお望みになったからでございます。陛下は私が…いえ、私に限らず、傍らにある者が略式といえども形式に則った言葉を口にすることをお嫌いになります。ゆえに、私達は公の場以外では先ほどのような挨拶は行いません。丁寧な言葉遣いも然り。けれど、この場に陛下はいらっしゃいません。私達が、陛下に対して失礼とも思われる態度をとることをお許しになっているのは翔醒陛下のみです。それ以外の皇族の方々に対して同じような態度をとることは、許されません」

 零は翔醒と成婚の儀を行った。皇妃という立場になると同時に、碧の皇族の一人に数えられる存在になった。

「ならば…僕が許せば、その姿勢も言葉遣いも…とにかく、すべて止めてもらえるんですか?」

「皇妃様のご命令とあらば」

 零は微苦笑を浮かべ、小さく息を吐く。

「僕は他者に命を令することが苦手なんです。僕も翔醒と同じように、あなた達が僕に対する態度を変えて欲しいと望んでいるんです。お願いでは、駄目ですか?」

「…皇妃様からのお願いを聞かないわけにはいきませんね」

 伏せていた顔を上げる。

「それがいいです。翔醒と一緒にいる時のあなたしかしりませんでしたから、さっきは本当にびっくりしました。いったい何事かと思いました」

 自分より高いところにある顔を見上げ、満足気に微笑む。

「皇族の方々は丁寧な対応を好みますから」

 皇族に限らず、自分が在る場所に過剰な自信を持っている者は。

「全員が全員、そういうものではないと思いますけど…。あ、愁煉はそちらに座ってください」

「え?」

 翔醒から頼まれた言葉を伝え、すぐに部屋から退出するつもりだった愁煉は進められた椅子を凝視する。

 卓子の周りには、二つの椅子が置かれている。一つは零、一つは休憩を取る予定だった翔醒のために用意された席だろう。

「どうかしました?」

「いえ…では、陛下からの言付けをお伝えいたします」

「はい。ですから座ってください」

 卓子の上に置かれた器の中に薄い赤を帯びた琥珀色の茶が注がれる。白い湯気が立ち昇り、春の風のような爽やかな香りが漂う。

「いえ、座ってなど…」

 参謀官という高位にあり、側近の一人として名を連ねている愁煉だが、皇妃と同じ席に着く資格はない。勿論、皇帝の言葉を座りながら他者に伝える権利もない。皇帝の名代として動くことを許されていれば別の話だが。

 先ほど零に態度を改めることを望まれたが、過去にない要求に戸惑う。皇帝の妃と同じ席に着き、椅子に腰を預けた姿勢で皇帝の言葉を伝えることは許されることなのだろうか。

「せっかく椅子が空いていますし、お茶もお茶請もあるんです。今日のお茶はヘンジという花のお茶なんですよ。お茶請は、育国の練菓子です。このお茶は苦味が少々強いので、もしも甘いものが苦手でも大丈夫だと思うんですけれど……愁煉も翔醒のように甘いものがまったく駄目な方ですか?」

 零は卓子の上に並べられたものを説明しながら、椅子に座る。

「いえ…嫌いではありませんが」

「よかった! なら、どうぞ座って食べていってください。育妃の方に戴いたものなんですが、翔醒は本当に甘いものが嫌いでしょう? 僕と伊由壬は嫌いではないけれど、いつまでも食べていたいって思うほどでもないし……戴いておいてこんなことを言うのは大変失礼だとはわかっているんですけれど、少々持余し気味なんですよね。戴いた量が量だったので、食べても食べても減らないんですよ。愁煉が、減らすことに少しでも協力してくれるならばすごく助かるんですけど…。さぁ、座ってください!」

 先日、育妃の流麗花から届けられた祝儀の品は、芸術の国として名高い育国の特性を表すかのような細工が可愛らしい菓子だった。掌に納まるほど小さい菓子は、色鮮やかな餡で様々な花を形作っている。

 育では有名な高級菓子だ。

 愁煉のために茶と茶請が用意された席に着かない方が失礼だろう。

「では…失礼します」

 意を決したように椅子に座る。

 それを待っていたように伊由壬は一礼をした後、二人から離れた。何時でも茶器を満たすことができるように、部屋の隅に控える。

「無理を言いましたか?」

 居心地が悪そうに、何度も椅子に座りなおす愁煉の姿に後悔する。命令することが苦手だと言った口で、愁煉の意思を無視してしまったのではないかと。

「無理はしていません。けれど少々、この椅子に座っている自分に違和感を覚えますね。まさか、皇妃様と同じ席に着くことになるとは思ってもみませんでした」

「翔醒と同じ席に着くことはないんですか?」

 長い付き合いになる時間を遡るように振り返り、

「そうですね。陛下とは…陛下になられてから一度もありませんね、そういえば」

 幼少の頃は一緒に住んでいたこともあり、卓子の上に並ぶ料理を並んで食べることが日常だった時もあるが。

「愁煉は翔醒と乳兄弟になるのだと聞きました」

「はい、そうです。私の母が、陛下の乳母でしたから」

「翔醒の幼馴染にもなるんですよね」

 零は翔醒がいない隙を狙って、ここぞとばかりに質問を繰り出す。

「はい…幼馴染、と表現できる可愛らしいものではないと思いますが。一時期、一緒に生活をしていたことがあります。幼馴染というよりも、兄弟といった方が近いかもしれません。実際、乳兄弟でもあることですし」

「それじゃ、翔醒の子供の頃も知っているんですよね」

 一瞬、当時の記憶が脳裏を走馬灯のように過ぎった。遠い景色を眺めるような眼差しで頷く。

「はい、よく知っています。…何か聞きたいことがあるようですね」

 懐かしむ雰囲気は、悪戯を思いついた子供のような雰囲気に転じる。

 零の顔にも、悪戯を考える子供のような笑顔が浮かんだ。

「はい。色々と」

「私が答えられることならば、何でも答えましょう」

 翔醒がいないこの時に、と二人は共犯者のように目で意思の確認を行う。

 食事中の会話に、翔醒自身のことや零自身のことが話題に上ることが多い。ある時、翔醒が日常的に『しょう』と名乗っていた時期の話になったのだが。

「翔醒は、昔は今とは違ったんですか?」

 翔醒が伝える幼少時代は、今の翔醒から想像がつかない内容ばかりだ。自分の都合が良いように脚色しているのではないか、と疑ってしまうほどに。

「今とは違う、と言うと?」

「愁煉は乳兄弟という関係で言ったら弟だと言うのに、兄のように振る舞い、翔醒は何でも言うことを聞く子分のような存在だった…とか、先日は言っていましたが…」

 愁煉の穏やかな笑みを作っていた口元が引き攣る。

「例えば…愁煉がやった様々な悪戯は、すべて翔醒がやったことになっていたとか…。目深に頭巾を被っていれば、誰がやったかわからない。翔醒は、背格好が似ている愁煉に悪戯の責任をすべてなすりつけられていた。幼少の頃の辛い思い出だ、と嘆いていたんですけれど…やはり、嘘だったんですね」

 眉間に深い皺を刻み込んでいる愁煉を前に、零の口元も引き攣る。

「陛下はそんな嘘八百を並び立てましたか」

 愁煉の喉が低く鳴る。

「皇妃様、陛下からお聞きになった話はすべて作り話。嘘ですよ、嘘。この私が陛下を子分のように扱うなど、とんでもない。悪戯の責任を押し付けるなど、以ての外。当時、確かに本当の兄弟のように身分に関係なく過ごしていましたが、私はそんなことをしたことは一度もありません。私は。えぇ、私は」

「愁煉は…ってことは、翔醒は?」

「…どうぞ、陛下からお聞きになったという話に登場する『翔醒』と『愁煉』の名前を入れ替えてお考えください」

 つまり、幼少時代に行われた数々の悪戯の主犯は愁煉ではなく、翔醒ということだ。

 翔醒の口から出た大人しい少年像に疑問を抱いていた零は真実を知り、納得する。悪戯を繰り返す元気な少年像の方が、現在の翔醒に通じるものがある。

「そうだと思ったんです。翔醒が教えてくれた子供の翔醒は大人しすぎるんですよね」

「…初めてお会いした時は大人しい、物静かな方だと思いましたが…。本当に、あの頃の陛下は子供らしくない、大人染みている方でしたよ」

 子供には不釣合いな大人びた微笑みを浮かべながら、翔醒は愁煉に握手を求めた。その動作も子供らしくないもので。

 愁煉は子供がしない挨拶―――大人がする挨拶に、単純に喜んだ記憶がある。翔醒にとってはあたりまえのそれが、愁煉を大人扱いされているような気分にさせた。

「まぁ、そんな陛下は短期間限定だったのか、すぐに遥か遠い彼方に飛んでいってしまいましたが。近所に住んでいた子供達と友達になってからは、子供らしさを充分過ぎるほど発揮なさっていました。同い年の子供達と遊び、喧嘩をして、仲直りをして……何時の間にか悪餓鬼達の大将になっていましたね」

 翔醒と共に行動していた子供達の中に愁煉も含まれている。

 子供達を指揮していた翔醒は大人に些細な悪戯を、毎日のように仕掛けた。大人が子供に対して本気になって怒らない程度の悪戯を考えて。

 些細な、と言っても悪戯は悪戯だ。それを見つけた大人は、逃げる子供を叱るために追いかける。捕まってしまったら説教されることを知っている子供達は必死になって逃げる。少しでも遊ぶ時間を奪われないために。

 楽しい毎日だったが、大変な毎日でもあった。

「陛下は、悪戯を仕掛けると同時に、見つかった時の対策も考えていました。大人から逃げる道も言葉も方法も…利用できるものすべてを活用して逃げるんです。家から外に出た瞬間に遊ぶ時間が始まり、外から家に入った瞬間に遊ぶ時間が終る。子供にとっては短い時間です。その時間を大人に奪われることは、陛下が最も忌むべきことでした」

「…すごい…子供だったんですね、翔醒って」

「どうぞ正直に、嫌な子供だと」

 零が濁した言葉を、愁煉は微笑みながら音にする。

「陛下は、同じ年頃の子供からみればすごく良い人物でしたが、大人から見ればすごく悪い人物だったでしょうね。子供という立場を存分に理解し、活用し、自由勝手気侭なことばかりしていましたから。子供だから、という理由で許されることが多い現実を知っていたのでしょう」

「こ、子供らしくないっ…」

「子供らしくない私の話は楽しいか、零?」

 頭上から降ってきた不機嫌な声が、零の身体を揺さ振った。

 零の正面―――扉が視界に入る位置に座っていた愁煉は、部屋に翔醒が入って来たことに気がついていた。静かに椅子から立ち上がり、一礼する。

「私がいないところで何の話をしているのかと思えば…まったくつまらない話をしている」

 腰に手を置き、仁王立ちしている人物を見上げる。不機嫌そうな顰め面を零と愁煉に見せている。

「つまらなくないですよ、翔醒」

「…そうか? ならば、楽しい話だというのか」

 空いた椅子に腰を下ろす。

 透かさず伊由壬が動き、翔醒の茶器を卓子に置いた。甘いものを苦手とする翔醒の前に茶請け皿はださない。

 白磁の器に、淹れなおした茶を満たす。再び、爽やかな香りが周囲を包んだ。

 結局、一口も飲まれなかった愁煉の茶器と手付かずの茶請けを片付ける。

「あ、伊由壬、僕のはそのままでいいよ。飲むから」

 零の冷めてしまった茶を交換しようとするが、止められる。伊由壬は一礼をし、下がった。

「僕は楽しい話だと思いましたけれど。僕が知らないあなたのことを知るのは、楽しいですよ」

「楽しい話を、私ではなく愁煉とするのか。私に聞けばいいことではないのか」

 楽しそうに、零は声を発てて笑う。

「翔醒から聞く話も、翔醒を間近に見てきた愁煉から聞く話も、僕はどちらも楽しいと思います。貴方の色々な面を知ることができる」

「…そうくるか」

 貴方のことを知りたいと暗に告げる言葉に、話題の中心人物は照れたように顔を背ける。

 肘をついた手の上に乗る顔が仄かに赤く染まっていることに気がついた零は、感染したように自分の顔も赤く染め、笑みを深くした。



 お、恐れ多くも高神れく様@婀娜華さまよりいただいてしまいました!
 しかも「遠き回廊の彼方に」の短編♪
 以前bromistaの短編(夏の誓い)を奉納した際、「リクエストをどうぞ!」というありがたいお言葉をいただき、遠慮せず「書いて!!!」とおねだりした次第です。
 ちなみにお題は「零と愁煉が翔醒をネタに話しているところ」。
 零と愁煉が二人で翔醒の昔話するってありですか? とかなんとか、わがまま設定をさせていただきました(笑)。
 いや、だって本編で結構振り回されてるから、昔からそうだったのかな? とか、それとも昔は対等だった? とか、考えちゃって。
 翔醒は翔醒だったということで、かなり納得です(笑)。
 この3人の話読んだことないわ! という方は必読ですよ!



presents




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送