あなたしか見えない



 閉店まで店に残り、翌日の準備だ何だと仕事をしていると、気がついたら時間が予定以上に過ぎていることがある。そうなるとマンションに帰えるのは深夜どころか夜明け近く。完全な昼夜逆転の生活を過ごし始めて五年も過ぎると、身体のほうが慣れてしまうらしい。

 別の店にいた頃は始発まで開けているような店だったから、それを考えるとまだましな方だと思う。だが、平日休みは誰かと行動するというのをし難いのがちょっとネックだ。

 もっとも、同居人が輪をかけて不規則な場合にはお互いに楽なのかもしれない。自分以上に不規則な仕事をしている彼は、自分よりも長いことこの生活を営んでいるのだ。

「ただいま……あれ?」

 誰もいないだろうと思っていたリビングに明かりが見える。首を傾げながらも歩いていくと、ソファで寛ぐ恋人の姿があった。

 どうやら今の仕事に区切りがついたらしい。その証拠に尚貴は手の缶ビールを振ってみせた。

「お帰り」

「うん、ただいま」

 空いた手に招かれて近寄った蒼は、少し身を屈める。後頭部にまわされた腕に導かれ、唇が軽く触れ合った。それは深く結びつかなかったが、蒼を労わるには充分な熱が伝わってくる。それを実感しながら目を瞑ると、唇越しに尚貴の笑う気配を感じた。

「……何?」

「機嫌よさそうだな。何かあったのか?」

 距離ができた途端言われた言葉に、蒼は首を傾げた。

「何かって言われても……」

 数秒考え込み、今日あったことを振り返る。ややあって、蒼は小さな声をあげた。

「うん、良い事あったかな」

 久しぶりに長い時間店にいた之路と交わした会話の中で、彼がいい方向へと変わってきたこと、そして彼の中の「蒼」を知った。

『天野さんが影響を与えてくれたのは確かだけれど、今こうしていられるのは蒼さんが俺を拾ってくれたからだよ』

 だから、之路を変えた根本に自分がいるという。

 蒼としては、天野の影響でこうも変わるのか、とどこか寂しげな感傷を抱いていただけに之路の一言は嬉しかった。こうして思い出すだけで自然と笑みが浮かぶほどに。

 とりあえず尚貴にはきかっけとなった曲について、交わした会話を伝える。

 之路の抱いた感想を告げると、尚貴がどこか面白そうな笑みを浮かべた。

「あの之路がね……」

 あの、と強調する理由は蒼と同じだろう。

 蒼たちと出会ったあの時、之路の瞳は何も映そうとはしなかった。目の前のものを見ている、ただそれだけの役割を果たし、自分以外の誰かを受け入れようとはしなかったのだ。

 自分に害を与えるものしか傍にいないと思い込むことは、他人との接触を一切受け入れないということだ。それは周りに存在する全ての情報が無であるに等しい。

 時が経ち、徐々に快方へと向かったが、他人との関わりをもつことに一線を置いたまま。人と話すことはできても、己の抱える感情をぶつけることはしなかった。蒼たちでさえも辛うじて近づけたに過ぎない。

 天野と出会ったことは吉なのか凶なのか。判断に迷う時期もあったが、結果としてみれば良かったのだろう。少なくとも、今の之路になれるだけの影響を受けられたのだから。

「それにしても、天野には驚かされたな。まさかあいつが未成年に手を出すとは思わなかった」

「……人のこと言えないくせに」

「それをまだ言うか」

 ぼそっと呟かれた言葉に尚貴は顔を顰める。それを見て、蒼は小首を傾げる。

「そんなに言われたくないんだ?」

「犯罪者扱いされてるようで気に食わない」

 蒼と出会った当初ならともかく、今は互いに独立した大人と呼べる歳になったのだ。いつまでも「未成年に手を出した」と言われたくはない。そうでなければ、言われるたびに抱いてしまう罪悪感を放棄できない気がする。

 憮然とした表情になった尚貴に、蒼はふっと笑みを浮かべた。その首へソファの背凭れ越しに腕を巻きつけて彼の耳に唇を寄せる。

「犯罪者だとしても、僕はあなたが好きだよ」

 始まりはどうであれ、好意を抱いていたのは事実。そして、それを恋愛感情にまで発展させたのは蒼自身のことだ。尚貴が罪悪感を抱くのは少し違う気がする。

「蒼……」

「貴方だから、好きになったんだ」

 背もたれに体重を預け、ぐっと乗り出した体勢で尚貴と唇を重ねた。温もりを伝えるだけでは足りなくて自ら舌を伸ばせば、尚貴の口腔がそれを受け入れる。

 自分以外の熱を探る行為は、触れ合う安心感と、その相手を自分の支配下におく征服感、そして少しの背徳感が入り混じる。だが何よりも、自分の思いが一番伝わるような感覚がするのは気のせいだろうか。

「ん…………っ」

 先に根を上げたのは蒼だった。奪ったはずのそれがいつのまにか奪われる形になり、生々しい感触に眉を顰める。

 主導権を握られた今、されるがままに翻弄されるしかない。尚貴のほうへと引き寄せられ、無理な体勢がさらに蒼の躰を拘束する。

 小さな水音と零れる吐息が二人の感情を高ぶらせる。

 躰の内側に溜まる熱をどうにかしてほしい。

 言葉にならない願いを指に託し、尚貴の項にまわしたそれへ力をこめる。尚貴が喉の区で笑う気配を感じた。

 すっと離れた熱を追い求めれば、文字を生み出す指が蒼の濡れた唇を怪しくなぞる。

「どうしたい、蒼?」

「……わかってるくせに」

 白々しく言葉を求める尚貴を力の入らない瞳で睨みつけた。だが、それでも動こうとしない相手に焦れ、蒼は押し当てられたままだった尚貴の指を自ら口腔へと導く。

 僅かに引き込んだそれはまだ爪の部分しか含めていない。蒼はもったいぶるように甘噛みすると、今度は舌を伸ばして端からゆっくりと撫でていった。時間をかけて舐め終えると、また一からやり直すように食む。

 与えられたミルクを舐める猫のように、舌を這わす蒼を尚貴はどう見ているのか。

 ふと視線を感じて目をやれば、こちらを見る尚貴の目が熱を帯びてきているようだ。それを意識しながら、蒼は目を伏せて口の中にあるものをそっと吸う。

「蒼」

「……ん」

 促されるまま指を舌で押し出せば、代わりに唇が塞がれた。傍若無人に動き回るそれを蒼は甘受する。

 言葉がなくても通じる想い。

 抱きこまれるままに体重を預け、蒼はぶつけられるそれを全身で受け止める。

 仕掛けたのか仕掛けられたのか、もはやそんなことはどうでもいい。

 駆け引きをする余裕もないほどお互いを求めていること、それが一番重要だと思うから。

 音にならない感情を自分の指に託して、蒼はそっと目を閉じた。





 『陽』番外編にあたる「あなたの傍で」の蒼サイドです。尚貴にあの曲(歌詞)の感想なんぞを言わせようと思いましたが、たんなるイチャツキと化しました……おかしいな。現時点で甘度少なめな彼らなのでたまには良いか、とちょっと黙認してみたりして。



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