新 年 会

 

 

 

 都内でも一等地に立てられた数寄屋造りのとある家は、その日満員御礼の大賑わいだった。敷地外からは伺えないが、そろそろ日付が変わるというのにその賑やかさは半端ない。

 旅館の宴会場を思い起こさせるその部屋には人が犇き合い、誰かしらの話し声が常にある。時にはあちらこちらから大きな笑い声が起き、無礼講という言葉が似つかわしい。

 ここは高宮グループ総帥、高宮廣造の持ち家であり、彼が先代から引き継いだ家屋であり、そして都内とは思えないほどの敷地を持つこの屋敷が、高宮家の本家と称される場所でもある。

 本家とあれば分家が当然存在する。中でも本家に近しい分家筋は例年元旦の昼過ぎからこの場所に集まり、翌日の夕方にかけて親睦を兼ねた新年会に参加するのが常だ。当然本家のお呼びとあって、招集のかかる分家に選択肢はない。選択肢があるのは、女性と未成年の子供のみである。

 天野義孝が引き取られた先の天野家も、この新年会に参加義務を持つ分家筋である。

 もっとも義父自体この会を「面倒」の一言で切り捨てており、天野自身も血筋に拘る一部から奇異な目で見られていることを知っている。彼らを正月から逆撫ですることはないだろうと、毎年養子という立場を利用して辞退するのだが叶ったことはない。

 それは一人で参加することを不服に思う義父と、そして天野を気に入る本家が許さないからだ。無理に用事を作ることも可能だが、それは後々悔やむことになるだろう。

 そうなると、残す方法は縁も酣な時間帯に抜け出すしかない。

 普段羨望の視線が痛いために露も思わないが、こんなときばかりは出入りが許されていることを感謝できる。

 周囲が程よく酔いが回り始めたのを見計らい、天野はそっと宴会を抜け出した。そこから程よく離れた場所にある中庭へと歩を進める。

 正月しか出入りを許されない人物ならば迷うだろう間取りも、天野にとっては慣れたものだ。一時期この屋敷で生活をしたこともあるおかげで、躊躇うことなく目的地へと歩くことが出来る。

 人気のない縁側に胡坐をかき、天野は側の柱に寄りかかった。空を見上げれば、雲ひとつない空に綺麗な月が浮かんでいる。

 酒は自分でも嗜むし、酒の場は嫌いではない。

 だが、気心の知れた仲間内で飲むのとは異なり、ある種の心構えが必要となる。義父や総帥に迷惑をかけないよう、こちらの一挙手一投足を見張る視線を堂々とやり過ごすのは、いくら慣れたとはいえ正直疲れてしまう。

 おまけに数日後には社会人としての通常業務が始まり、内外との新年会が手薬煉を引いて待ち構えているのだ。それに対する気力を養っておきたいのが本音だ。

 できることなら年下の恋人とのんびりしたいと思う。

 彼とならどんな過ごし方をしても負担に思うことはないのに。

 知れず溜め息をこぼす天野の耳に聞きなれた声が届いた。

「ずいぶんと時化た顔をしているな」

「……凌か」

 振り返ると嫌というほど見慣れた人物が呆れた顔で立っていた。持っていた缶ビールを天野に差し出しながら、その隣に腰を下ろす。

 冷えたそれを受け取りながら、天野は問うた。

「抜けてきていいのか?」

 かつて天野が育った施設に出入りしていた少年は、今では仕事上の同僚であり有能な上司でもある。幼い頃からこの家に出入りを許されていた彼は、総帥のことを「爺さん」と呼べる強者だ。

 総帥の横に席を与えられた彼が、抜けてきてもいいのだろうか。

「姫の送りついでだから問題ないだろう」

 姫、こと高宮亜湊は高宮グループ総帥の唯一の孫娘であり、将来の総帥候補でもある。この正月まで未成年として扱われる彼女が、部屋へと戻っていたのは数時間前のことだ。

 彼らが恋人と呼べる関係であることを知る天野は、野暮なことを口にしない。その代わりに缶を掲げ乾杯の詞を発した。

「新年をお互い無事迎えられたことに」

「来年も迎えられることを祈って」

 含みのある視線を向け合った二人は、共犯者めいた光を目に浮かべた。

 彼、秋津凌との付き合いも思い起こせば長くなる。初めて出会ったのは、もう一回り以上昔のことだ。仕事上だけでない関係は馴れ合いを作り上げると懸念されたこともあるが、二人にとっては大きなお世話だ。

 馴れ合いで何が悪い。

 結果が良ければ問題がないのだから、気になるなら結果だけを見ていろ。

 実際二人の働きは総じて評判が良く、総帥の覚えも良い。年配らしい苦言を呈してきた人物は今頃地団太を踏んでいることだろう。

「ところで、彼―――之路くんは元気か?」

 突然の問いかけに、天野は喉に流し込んでいたビールで咽た。げほげほと気管に入っただろう滴を追い出し、隣で飄々としている凌を睨む。

「おまえ、いきなりそれか?」

「天野とここで高宮談義をしても面白くないだろう。正月休みをここで過ごしている身としては、可愛い恋人のことが気になるのかと思ってね」

「ご期待に添えなくて申し訳ないが、俺の予定が空いていたとしても一緒には過ごせなかったよ」

 からかいの視線に対して天野は肩を竦めてみせた。

 明日まで両親と共に新年の挨拶回りに連れて行かれると、年末に之路本人から聞いている。普段の生活は離れているのが当然で、しかし正月ともなるとここぞとばかりに連れ回すらしい。

 息子を厭っているわけではなく、単に接し方が極端なのだろうというのが蒼の見立てだ。会話の下手な親子だよ、と苦笑いしながら言っていたのを思い出す。

「年が明ける前に受験は終わったそうだな。将来は親の跡を継ぐのか?」

「そうかもしれないし、違うかもしれない」

「つまりは聞いてない、と。興味ないのか?」

「興味以前の問題だ。……あいつは自分で進むべき道を選ぶからな」

 あっさりと受け流してみせた天野だが、その実、気にならないといえば嘘になる。

 親の敷いたレールに初めて反抗心を見せた之路は、昨年の夏に他大受験することを選択した。それは彼の新しい第一歩で喜ばしいことであるが、その一方で複雑な心境であることも確かだ。

 両親は常に不在、唯一側にいた人物には裏切られ、人という存在自体を否定しかけていた之路。その彼が彼らしく生き始めたのが最近だといっても過言ではないだろう。

 人と人との付き合いを新しい環境で学ぶ。それは彼にとって良いことだと断言できる。

 その一方で、不安材料がないわけではない。

 之路には自分の中で感情を押し込める癖がある。

 加えて、彼は天野に甘えることをしない。否、甘えることに怯えているというべきか。

 そのことに之路自身が気づいておらず、またそれに慣れてしまった性格が、一朝一夕で改まることはない。

 他大という未知なる環境に足を踏み入れたとき、彼が何を思い、何を感じるのか。そのとき彼を襲うだろうストレスを予想できるだけに、天野は見守るしか出来ない立場に臍を噛む。

 もし天野が之路との年齢差がなければ、彼はもう少し甘えられたのだろうか。

 何度も打ち消しても、気づけば考えてしまう疑問。年齢差がなければ、今の状況でなければ、彼とは知り合うことも出来なかったとわかっていても浮かんでしまう。

「傍で見守ることを選ぶのみ、か。……難しいな」

 天野の葛藤を知らず、凌が悩ましげな声を出す。

 彼もまた似たような立場に立っていることを思い出し、天野は微苦笑を浮かべた。

 天野にとっては甘えてこない恋人からどうやって弱音を引き出すかが問題だが、凌の場合は、すでに大人として歩み始めた少女をどう支えていくか、である。

 亜湊は基本的に人に頼ることを良しとしない性格の持ち主で、之路とは違う意味で弱みを見せようとしない。その彼女をいかに自分の許でくつろげさせるかが凌にとって悩みの種だ。

「ああ、難しい」

 同意しつつも、天野は互いに本気で困った顔をしていないことに気づいていた。

 年下の恋人を甘やかす。そして恋人が自分の傍で穏やかな顔をして過ごす。それが自分にとってこれ以上のない至福だと知っているからだ。

 しばらく無言で過ごしていると、第三者の気配を感じた。ほぼ同時に振り向くと、この家に仕える女性が近づいてくる。

「凌さん、義孝さん。御館様がお呼びです」

「わかりました、すぐに行きます」

「そちらはそのままで結構ですよ。後ほど片付けに参りますので」

「お願いします」

 会釈程度に頷き、立ち上がった凌が天野を見やる。

「どうする?」

「どうするも何も、総帥のお呼びとあれば無視するわけにはいかないだろう」

「俺としては、あの場所に戻りたくないんだけれどね」

「確かにな」

 眉間に皺を寄せる凌に同意しながら、天野は立ち上がる。凌が歩き出すのに続こうとしたそのとき、胸ポケットに入れておいた携帯電話が震えた。

「天野?」

「悪い、電話だ。先に行ってくれ」

「―――逃げるなよ」

 念を押された天野は片手で応え、着信相手を確認しないまま通話ボタンを押した。

「もしもし?」

「……天野さん?」

 聞こえてきた声に、天野は軽く息を飲んだ。つい先ほどまで思い浮かべていた相手からの電話に、出来すぎだろうと内心で苦笑する。

「今、大丈夫? かけ直したほうがいい?」

「ちょうど宴会に飽きて抜けていたところだ。これが明日の夕方まで続くのかと思うと辛いな」

「前にそんなこと言っていたね。そんなにきついの?」

「毎年この時期になるとナーバスになる者が出るくらいにはな。之路はもう家に着いたのか?」

「ううん、二日続けて似たような場所でやるからって、親がホテル取ったんだ。その部屋についさっき戻ったところ。綺麗だけれど、落ち着かないね」

 受話器越しに笑う気配が伝わってくるものの、その声がわずかに硬い。天野は眉を顰めた。

「……疲れているみたいだな。大丈夫か?」

「立ちっ放しだったってこともあるんだろうけれど、結構体力使った気がするよ。おまけに人混みは凄いし、用意されたスーツは着慣れないしで散々。こんな窮屈な格好、天野さんたちはよく毎日していられるよね」

 着慣れない服を着た人間は見慣れない自分を異質なものと捉えやすい。だからこそ、「こんな」呼ばわりになるのだろう。

 高宮に出入りしだした頃から着ていることもあって、天野にとってスーツはすでに仕事着として定着した。スーツを身に纏うことにより、天野の醸し出す空気は硬質的なものに変える。その効果もあって、私生活以外で他人と対峙するときはスーツほど楽なものはない。

「そういえばスーツを着ているおまえを見たことはないな。今度ドレスコードのある店にでも行くか」

「冗談! 着るだけでも疲れるんだよ? 味も分からないような状況で食べられるわけないって」

「なんだ、俺には見せてくれないのか?」

 からかうように問えば、逡巡する様子が伝わってくる。一瞬の間をおいて之路の声が届いた。

「―――……明日」

「うん?」

「明日、スーツで行くから……」

 だから、部屋に行ってもいい?

 之路の声が少しだけトーンを変える。艶を帯びたと感じたのは、きっと天野の気のせいではないだろう。

 今浮かんでいるだろう表情が目撃できなかったのは残念だ。

「ああ、待ってるよ」

 明日はどんな顔をしてくるのだろうか。

 雲ひとつない空に浮かぶ冴えた月を見上げながら、天野は口元を綻ばせた。

 

 





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