恋する瞬間

 

 

 猛暑と呼ばれる季節もようやく落ち着きをみせ、シャツ一枚で過ごすこの時期。学園内は異様な盛り上がりを見せていた。

 イベント好きな学校は、例にもれず文化祭にも力を入れる。いや、むしろこれこそ本番とでも思っている節がある。

 体育祭とは違って完全にクラス対抗となるのだが、その熱の入り方は一年だろうが三年だろうがその差はない。対抗というからにはもちろん人気投票が行われ、その勝敗は一般客の票が左右する。優勝したクラスには賞品が出ることもあり、誰もが目の色を変えて挑むのだ。

 客引きが真剣なのも、全てクラスのため―――ひいては賞品のため。

 和意を引きとめようと、生徒という生徒が和意を自分たちの教室へと誘う。それだけならまだしも、一般客の視線がやたらと突き刺さっていた。和意がどこに行こうとしているのか、一挙手一投足を見守られてはおちおちと構内を歩くこともできない。

「……逃げるか」

 迷ったのは数秒ほど。和意はHR棟と繋がるもう一つの校舎へと足を向けた。

 職員室を始め、来客用の入り口や校長室などが並ぶこの校舎は、通称管理棟と呼ばれている。各教科の教師控え室もこの棟にあり、生徒にとってここは必要時以外なるべく近寄りたくない場所だろう。

 そしてこの一階の一角に目指す場所があった。

「失礼します」

 扉をノックし、返事を待つことなく入室する。白を基調とする無機質な部屋の中心には机が置かれており、そこでは部屋の主が何かを書いているところだった。

 細川棗、二十七歳。保険医としてこの学校に赴任したのは数年前で、まだまだ年若い。

 振り返った彼は、和意だと知った途端に顰め面をしてみせた。

「お急がしい副会長様が何のようだ? ここは病人の来るところだぞ」

「忙しすぎて目が回ったんですよ。なんせこのお祭りの中心で振り回されていたんで」

「……コーヒーは自分で淹れろよ」

「はいはい」

 しかたがない、と溜息を零す細川に笑みを向け、コーヒーサーバーへと向かう。彼のマグカップにまだ残っているのを見て取ると、和意は自分の分だけを慣れた手つきで淹れた。

 和意が保健室に出入りしていたのは高等部に入ったばかりのことだ。それは体調が思わしくないという理由ではなく、ただ単に睡眠不足を解消するためである。

 授業をサボタージュするための仮病は許さないが、顔色が悪ければ仕方がない。そんな持論を持つ彼だが、和意の寝不足の原因をしっかりと知っていた。

『夜出歩くなとは言わないが、もう少し利口なやり方をしろ』

 たまたま出先で顔を鉢合わせたときに彼は笑いながら和意を嗜めた。それ以来、和意は保険医との距離を縮めている。

「今日はどうした?」

「どうしたもこうしたも……って、あれ? 誰かいるんですか?」

 和意の意識を捕らえたのは、カーテンがきちんと閉まっているベッドだった。三つあるうちの一つだけがカーテンで覆われている。誰かがそこで寝ていない限り、カーテンは開け放たれているのだが。

「ん? ああ、あれか」

「あれって……」

「いいんだよ。寝不足の上に子供の相手で振り回されて貧血を起こした馬鹿だからな」

 仮にも教師が生徒に向かってその言い草はないだろう。

 そう思いながらも口に出せないのは、彼の浮かべる表情が原因だ。いたずらっ子を見守る親のように、どこか楽しんでいる節がある。

「隅っこで大人しくしておけばいいのにな。融通が利かないというか何というか」

 誰に対しても同じ対応をとる彼が、こんな風に保護者面をするのは珍しい。よほど親しい人物なのだろうか。

 和意がさらに問いかけようとしたそのとき、保健室の扉が勢いよく開かれた。荒々しい足音とともに入ってきた生徒を細川が咄嗟に諌めるが、彼には通じなかったらしい。よほど慌てているのか、和意を気にすることもない。結局要領を得ないまま細川はその生徒に引っ張られていくことになってしまった。

「起きたら俺が帰ってくるまで動くなって言っておいてくれ。なんならベッドに括りつけておいてもいいぞ」

 保健室を出る間際になって細川が残していった言葉は和意の苦笑を誘うものだった。彼がそこまで心配するほどの状況にあるのかと考えた矢先に、先ほど彼自身が「寝不足」と言っていたのを思い出す。

「相変わらず心配性だな」

 くすくすと笑いながら、和意は持っていたマグカップを机の上に置いた。そして足音をを忍ばせて唯一塞がっているベッドへと近づく。

 趣味の悪いことだと思うが、彼に心配をかける人物が誰なのかを知りたかった。

 カーテンの切れ目に手を入れ、そっと隙間を作る。起きる気配がないのをいいことに、それをもう少しだけ広げて中を覗き込んだ。

「…………小泉?」

 小さな寝息を立てて眠るのは、今年外部生として入学してきた小泉昶だった。

 時々廊下ですれ違う程度で、知り合いというには程遠い。それなのに顔と名前が一致するのは和意が副会長だからと言うよりも、昶自身が目立つからだ。

 元気に走り回る姿はまるで子犬のようで、誰もが遠慮なく手を延ばしたくなる生徒という評判がある。工藤聡里と一緒にいることが多く、二人で一セットと考えられることもしばしばだ。

 一時は運動部が目をつけていたらしいが、この時期になってもどこかの部活に所属したとは聞かないから、上手いこと逃げられたのだろう。

 なるほど、元気印とまで言われる昶が倒れたとあっては、周囲はもちろん保険医まで心配をするだろう。

 まだあどけなさの残る寝顔は、とても同じ高校生とは思えないほど幼い。実際童顔なのだろうが、ここまで穏やかな顔をされてしまうと、なんとなくこちらのほうまで微笑ましく思えてしまう。

 そう言えば誰かの寝顔を見るのも久しぶりか。

 和意に今付き合っている相手はいない。否、特別な感情をもつ相手がいないと言うべきだろう。

 躰だけの関係を持つ相手は際限なく存在するが、寝顔を見ようと思うほど深く抱き合った人物はいない。互いの欲求を満たしてそれで終わる。中には甘えてこようとする者もいるが、その場合は和意のほうから縁遠くなってきた。

 後腐れのない関係。それが一番楽でいい。

 そう、思っていたはずなのだが。

「寝不足って何していたんだ?」

 つい下世話な言葉が口から零れ、和意は苦笑する。きっと昶は自分と対極な場所で過ごしているのだろう。ままごとのような恋愛ごっこをして、せいぜいキスどまりに違いない。

 お子様度全開の彼だが、多くの生徒が虎視眈々とその身を狙っている。未だ実害があったと聞かないのは聡里が巧く周りを制限しているからだろう。

 正直言って、彼らが昶の中に何を求めているのかわからなかった。―――こうして近づいてみるまでは。

 まだ何色にも染まらない昶を自分の手で変える。どこか征服欲にも似た感情が胸に湧きつつある。

 セクシャルな雰囲気を醸し出すことのない後輩は、どんな顔をして行為に及ぶのだろう。

 深い呼吸を繰り返し、起きる気配のない後輩の頬へそっと手を伸ばす。化粧っ気のない素肌は滑らかで、吸い付くような弾力さえ持ち合わせていた。

「ん…………」

 起こしただろうか。そんな和意の心配を他所に、昶は小さな声とともに寝返りを打った。不足している睡眠を貪ろうと必死なのか、和意に背中を向け心臓をかばうように背中を微かに丸める。

 再び規則正しい呼吸音が耳に届き始めると、和意は知らず詰めていた息を吐き出した。

 穏やかな寝顔を乱したら、どんな反応をするだろうか。

 一度浮かんだそれは染み付いたように、和意の胸の内を騒がせ始める。

 唯一の解放を促せるはずの彼は和意の視線に応えることはせず、ただ自分の世界を維持し続けていた。

 






 先に言っておきますが、あくまでも「瞬間」のため、細かい描写はありません(笑)。まぁ和意の場合、人を意識するってこと自体ないような気がするので、これを機に視線で追い始めるんだろうなぁと予想してはいますが。おそらく、昶に「いつから?」と聞かれても笑って誤魔化すだけでしょう。だって「保健室で見た寝顔が気になったから」なんて言ったら、昶は和意の隣りに近寄らなくなりそうだし。





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