奪われた役割



「……お酒、取り替えようか?」

 突然耳に入った声に、之路は顔を上げた。

 目の前には心配そうにこちらを見る蒼がいて、自分がどこで何をしているのかを思い出す。

 無意識のうちに行儀悪くカウンターに肘を附き、物思いに更けていたらしい。一度意識を向けてしまえば、それまで耳に入らなかった周囲の音が届きだす。気がつけば目の前のグラスは氷が溶け、色が変わっていた。

「何か悩み事?」

 ばつの悪そうな表情をする之路に、グラスを引き取りながら問いかける。

 囁くような声で問うのは、誰に見られているかわからないから。バーテンダーとしての役割ではなく、それが蒼自身の声だと知っているから、之路は小さな笑みをこぼした。

「悩み事だと思う?」

「僕にそれを訊くの?」

 当然ながら、質問者は蒼のほうだ。新しいアルコールを用意しながら、顔を之路へと向ける。

「出席日数が足りないとか?」

「そんなことしたら親が呼び出されるじゃん。それだけは絶対にしない」

 両親が子供を振り返らない代わりに、こちらも頼らない。複雑な親子関係は継続中で、今や助言などは蒼たちのほうがよほど多い。

 之路が自分を見失いかけていたところを助けたのは、両親ではなく蒼と尚貴だ。二人とつい最近之路の陰を覗いた人物だけが、之路の本来の部分を理解しているはずだ。

 あっさり告げる之路に蒼は苦笑すると、カウンター越しに之路へと身を乗り出した。

「人に言えないこと?」

「……そうじゃないよ」

 些細なことなんだ。

 言葉を濁し、曖昧な笑みを浮かべる。すると、途端に蒼が複雑そうな顔をした。

「ソウさん?」

「もうユキは僕に一番に相談してくれないんだね……」

 溜息混じりに呟いて、蒼は露骨に悲しそうな表情を浮かべる。

 誰かさんの登場以来、之路における蒼の役割が微妙に変化をし始めている気がする。

 それは、之路が体重を預けられる場所を見つけた証なのだと、蒼は自身を納得させる。だが、彼の成長としては喜ばしいところなのだが、保護者的な立場を奪われてしまったようで心から歓迎できないのも事実だ。

 男心は複雑である。

 取り繕うでもなく、蒼は本心を表に出した。

「ヤダヤダ。僕の席が義孝さんに持っていかれちゃったよ」

「何言ってるんだよ。ソウさんたちにはどんなに感謝をしても、し足りないんだから。……蒼さんと尚貴さんに会わなかったら、今はないって言えるよ」

 出会いが出会いだけに、之路が心から笑いかけてくるまでに時間がかかった。傷ついた野生の生き物のように、伸ばされる手を拒む目をしていたあの頃の陰は見当たらない。

 しっかりと前を見据え、人と視線を堂々と絡ますことができるようになった。それを二人のおかげだと之路は言う。

「蒼さんと尚貴さんは俺にとって大切な人だよ」

 之路の顔に浮かぶのは純粋な笑みだけで、翳りなどは見られない。

 慕われていることを知っているからこそ、蒼と尚貴は之路に対する保護欲が強くなるのだ。

 切り離して考えると、天野は蒼にとって敬愛すべき人物である。だが、一週間で之路の中に入り込み、その心まで奪っていった人物だと考えれば少なからず憎い。

「……やっぱむかつく」

 考えれば考えるほど悔しくて仕方がない。

 こうなれば別の役割を担うのみだ。

 小さく首を傾げる之路に、蒼は柔らかな笑みを浮かべた。

「喧嘩をしたときは僕のところへ逃げておいで」





 以前居候していたときにこそっとUPしてもらっていた(違ったかな……?)代物に手を加えてみました。基本路線は変わっていませんので、「読んだことあるある」という方も多いかも。
 さて、之路が憂い顔をしていたのには訳があるのですが、それは一体なぜでしょう(笑)? これで、正解者でたらすごいなぁ。



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