三度目の運命 =2=





 尚貴の本名は宮古尚貴という。

 音楽と自分の才能を愛した母は、同じ道を歩む娘を溺愛した。二年遅れて生まれた尚貴は彼女にとっての異端児のレッテルを貼られ、見向きもされなくなる。
 今の職業を選んだ大学在学中のときには、財界へ進出した父親に「宮古の名に影響させない」ことを突きつけられている。彼は地元の名士の中に入り込むことでようやくバックアップを手にいれた。それを壊されたくなかったのだろう。考えようによっては離縁宣言にも受け取れるそれに、尚貴は皮肉気な笑みとともに家を出た。ペンネームを「都」とするのは両親に対する子供じみた嫌がらせなのかもしれない。
 幸いなことに、宮古の祖父が尚貴を可愛がってくれた。
 平凡な生き方をするよりも好き勝手に生きるといい。尚貴が家を出るときには、言葉とともに後押しをしてくれた。いつかは尚貴を自分の会社に入れるという夢を捨て切れてはいないらしいが。
 おかげで学生の頃から住むこのマンションは祖父の持ち物で憂いはないし、生前贈与分だとして現在計画中のマンションは尚貴名義になる予定である。若干25歳とは思えないほどの収入があるのは確かだ。
「進み具合といわれても……まあ取り掛かってはいますよ」
 受話器の向こうでまくし立てる相手に眉を顰めつつ、尚貴は見えない相手に頷き返す。
 小説家を生業にする尚貴にとって、編集者からの電話ほど面倒なものはない。
 話が進んでいるときであればまだしも、こうして一文も書き出していない状態ではさすがに言葉も出てこない。もともと担当者に愛想振り撒くタイプでもないから、その様子は顕著だろう。
 あの手この手でなんとかパソコンに向かわせようとする編集者の言葉は八割方抜けていく。締め切りが書かれたカレンダーをぼんやりと見ながら適当に相槌を打った。
 進行状況を探る電話は思ったよりあっさりと切れ、尚貴は舌を出しながら受話器を置いた。やれやれと溜息をつきながら、尚貴は机へと向かう。
 入力で作業を進めるのは今では当たり前の姿だろうが、尚貴はもともとノートの端で物語を展開させる癖がある。学生の頃から授業中に思いついては教師に見つからないよう隠していたものだ。
 書こうとするネタはあるのだが、上手くキャラクターがそれについていかない。昔からのストックを掘り起こしてみても、今回の主人公にふさわしいキャラは登場していないのだ。
 おかげで机を陣取るパソコン画面は真っ白のまま、その脇にはノートと資料が散乱している。
 椅子に座り、吸い刺しの煙草を口に咥える。背もたれに体重を預け、上る煙をぼんやりと目で追った。
 ―――不調な理由はわかっている。
 話を書き進めようとすると、必ずある人物の視線が尚貴の思考を止めた。そして読めない感情を尚貴に訴えてくる。
 職業柄、人間観察は怠らない。大抵の人間は尚貴の中で何らかの形に変わり、それが組み合わされてキャラクターの性格になることも多々あった。また、形にならなければそれまでとなる。
 しかし彼は――”SOU”はそのどちらにも当てはまらないのだ。
 従順そうな職業上の顔と、尚貴に見せた表情豊かな彼と。
 一人の人物が頭の中で相撲をとっているような感覚がある。彼なら、という勘が尚貴を占めていた。顔を合わせて五分にも満たない時間で、ここまで尚貴をかき乱した人物は初めてだった。
「……まいったな」
 彼を書きたい。―――彼を自分の手で揺さぶってみたい。
 そんな要求が尚貴を突き動かそうとしている。この感情だけは尚貴自身でさえ抑制しかねるものだ。
 あの店に行ってから今日で一週間目。
 尚貴は灰皿に煙草を押し付けた。




 尚貴に特定の相手はいない。携帯に登録されたメモリーから適当に選び、お互いに都合がよければ店を決めて落ち合う。ほど良くアルコールを口にしてから朝まで、というのが大抵のパターンだ。
 来るもの拒まず、去るもの追わず。
 さすがにこの職業になってからは後者の立場を強化しているのだから、付き合わされる人間は溜まったものではないだろうと自分でも思う。しかし関係を強制していないし、分別ある人間しか選んでいないのだから、最悪な拗れには至っていないのが現状だった。
 今日の相手は、約束の時間に少し遅れるくらいがちょうどいい。
 突然電話をかけた尚貴に、相手は不機嫌な声ではなく諾の答えを返した。約束の時間を示されて初めて今が夜だということに気づいたのはご愛嬌だろう。
 尚貴はスーツ代わりのジャケットに腕を通すと、コートを手に取り家を出た。車を運転するには必要のないものだが、駐車場から店までを考えると面倒でも持っていかなければならない。
 愛車を運転しながら、尚貴はふと今日の店を思い浮かべた。
 待ち合わせ場所は自宅であるマンションから車で三十分もかからない。相手の都合とか時間が深夜に近いといったことは全く気にしていなかった。ただ、今日はそんな気分だったとしか言いようがない。
 どうしてそこにしたのか、と考えて愕然とした。
 例の店に遠くもなく、近くもなく。
 いつも使う駐車場は仕組まれたように中間に位置している。
 ―――自分は、どこまで捕らわれているのだろう。
 あの時、名前を呼ばれたことで動揺をした尚貴は彼を呼び止めそこなった。呆然とあの場に留まっていたのは無様としか言いようがない。
 そして席に戻りがてらその姿を知らない男の隣に見た瞬間、尚貴は何とも言いがたい感情を胸に抱えたのを覚えている。彼の浮かべる表情を目にしたくなくて、さっさと店を出てしまった。
 綯交ぜになった、やはりという納得とがっかりとした失望感。自分でもわからない笑みが唇に浮かぶ。
「何を期待していたんだか、な」
 自嘲気味に呟き、尚貴はハンドルを切った。その角を曲がったところにいつもの駐車場がある。そこは平日であることが影響してか半分ほどしか埋まっていなかった。
 年末を過ぎたとはいえ、冬の気配は全く去っていない。愛車を停め、外に出た尚貴は用意していたコートを羽織る。時計を見れば約束の時間まで幾分もないことを確認しておきながら、尚貴は煙草を口にした。
 待ち合わせの場所までゆっくり歩いて十分ほど。相手を待たせるつもりではあるが、待たせ過ぎにも注意するべきだろう。そう思いながらも愛車に寄りかかり、立ち上る紫煙を見送る自分がいた。
 大通りから一本外れたこの場所には喧騒が届かない。自分の煙草を吸う音がやけにはっきりと耳に聞こえる。
 予感、とでもいうのだろうか。
 今動かないほうが良いと、何かが訴えている。こういった勘が役に立つかどうかはその時々によるが、こんな時は大人しく従ったほうがいい。
 結局その場で一本を吸いきるまでの時間を費やした。
 ゆっくりとした動作で駐車場を後にした尚貴は、待ち合わせの場所へと向かう。本来なら大通りへ出たほうがいいのだが、気分が乗らなくて裏道を選んだ。
 街灯が少なく、ひんやりとした空気が尚貴を出迎える。人込みで澱んでいない空気が素直に今の季節を尚貴に教える。
 どうせなら遠回りをしてみようか。
 ここまで遅れたらもう数分も変わらないだろう。
 更に一本外れた場所へ向かうべく角を曲がった尚貴は、その直後突進してきた何かとぶつかった。
!!
「おいおい、気をつけろよ」
 相手の勢いが良かったせいか、衝撃が大きい。自分もよろけながら反射的にその人物を支え―――息を飲んだ。





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