Stay by my side




 温もりが離れていく―――。
 ぎしり、とベッドの軋む感覚に之路は意識を浮上させた。どこか遠くで規則正しい音が鳴っていたような気がするのだが、あれは何の音だったのか。
 寝ぼけた眼で霞んだ世界を見つめ、ゆっくりと顔を明るいほうへと向ける。微かな光が窓を覆うカーテンの隙間から差し込んでいた。
 ―――朝、か。
 重だるい体に合わせてその場に留まり、無意識に視線を彷徨わせていると、微かな音が耳に届いた。見れば、先にベッドを抜け出した恋人がクローゼットの前で着替えをしていた。すでにスラックスは身につけており、どのシャツにするかを決めているところらしい。
 平均身長をはるかに超えた体躯は無駄な筋肉を備えていない。その逞しい背中をぼんやりと眺めていた之路は、赤く走る線に気がついた。肩甲骨を中心に、数本の傷が目立つ。
 以前明るいところで見たときに、あんな痕みたいなものがあっただろうか。
 眉を顰め思い出そうとしているうちに、羽織ったシャツにそれは隠されてしまう。反射的に咎めるような声を出すと、天野がこちらを振り向いた。之路と目を合わせた瞬間、彼はふっと瞳を和ませる。
「起こしたか」
 寝起きのせいか普段よりも僅かに低く掠れていた。まるでアノ時のように、と脳裏に描いた状況が先ほどの疑問に答えを与える。
 無意識の自分がつけた痕だ、と之路は顔を赤くした。
 咄嗟にシーツに顔を埋めて誤魔化したが、彼にばれてはいないだろうか。
 天野は小さく笑うと、ゆっくりとした足取りでこちらへと近づいてきた。彼の体重を受け、ベッドがきしりと音を立てて沈む。
「おまえは時間あるだろう? まだ寝ていていいぞ」
 之路がまだ寝起きだということを意識した囁き声。伸ばされた指が撫でるように髪を梳いていく。その心地好い感覚に再び眠りが訪れかけていると、ふいに降りてきた熱が唇を覆った。「欲」を感じないそれは数度角度を変えて重なってくる。
 離れた瞬間にそっと瞳を開ければ、お互いの鼻梁がくっつきそうな距離に天野の顔があった。髪を弄っていた指が頬へとすべり、空いた片腕で体重を支えている。
「……仕事?」
 色気のない問いかけが口をついて出てくる。どうやら図星らしく、天野が困ったような表情を作った。
「さっき電話が入ったんだ。午前中の数時間だけ出てくる。昼過ぎには戻れるとは思うんだが」
 昨夜の時点では、午後外に出て映画でも、という話になっていた。前評判のいい映画のチケットを尚貴から貰ったのがきっかけでその流れが出来上がったのだが、どうやら遅れてスタートもしくは延期ということになるらしい。
 駄目だろうか、と赦しを待つ天野をじっと見つめる。
 もちろん、本音としては行って欲しくない。之路との約束のほうが先だし、何よりも久々に過ごす時間が短くなってしまう。
 だが、之路は社会の仕組みを知っている。そして、彼がこんな風に呼び出されるときは何かが起きている状況だということも。天野の仕事が不規則なのは今更の話しだし、彼の仕事を邪魔するのは気が引ける。
 そして何よりも、少しだけ垣間見た仕事中の天野の姿が好きなのだ。
 だから、之路は小さく頷いた。
「わかった。待ってる」
「悪いな。なるべく早く帰ってくるよ」
「その代わり、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「うん、あのね……」
 躊躇いを表に出すと、天野の瞳が柔らかくなる。彼の視線が真っ直ぐに自分を捕らえていることを確認して、之路は行動を起こした。
 手を伸ばし糊のきいたシャツに皺を寄せると、之路はそれを思いっきり引っ張った。予想をしていなかったのだろう、天野が細い体を潰さないために覆うように慌てて腕をつく。一息に近づいた距離に満足そうな笑みを浮かべると、之路は逞しい項へと腕を回した。
「天野さんの朝ご飯の時間を俺に頂戴」
 彼には必ず出かける前に朝食をとる習慣がある。今ごろ着替えているのだから、時間はまだ余裕があるのだろう。いや、なくても少しは融通してもらいたい心境なのだ。
 天野のせいではないが、休日の予定が潰れたのは事実である。
「……俺に空腹で行けと?」
「満腹になるのと俺といるの、どっちがいい? って話だよ。もちろん、天野さんが選んでいいけどね」
 選ばせるような科白を言いながらも、表情は言葉を裏切っている。そしてそれがどれだけの効果をもたらすのか、之路自身ようやくわかってきたところだ。
「選択肢がないのと一緒だな」
「そう? 天野さんの好きなほうでいいよ?」
 あと数センチ、どちらかが動けば唇が触れる。その距離を保ったまま上目使いで見つめると、天野が「答えなんて決まっているだろう」と嘆息をした。
「帰ってくるまで動けないほど可愛がってやるよ」
 向けられた欲を孕む男の目に、之路は艶めいた笑みを浮かべた。



(04.08.25 奉納)


「夏に暑苦しいのが読みたいです」(笑)とおっしゃっていたのですが、奉納が残暑となってしまいました。
お待たせしてすみません>kamataさま。
ネタはあるのに、シチュエーションが浮かばないという何とも言えない状況が続いてまして……。
無事仕上がってよかったです(安堵)。
それにしても、彼らは本当に寝室から動かないんだなぁ……。


NOVEL




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